豊臣秀吉の刀狩令とは?
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豊臣秀吉は、1588年、刀狩令により農民から武器を取り上げます。
この刀狩令では、名前の通り刀や槍などの武器を農民からすべて取り上げましたが、当時は地侍といって武装した農民たちもいました。彼らは、どうなったのかというと、武士としてやっていくなら、農村には住むな!城下町に行け!という命令を発しました。そうして、彼らは足軽などの身分の低い武士となって城下町に住む者と農民として農村に住むものとに別れます。
このように、農民は農村。武士は城下町とハッキリ農民と武士とが刀狩令によって別れることになります。これを「兵農分離」といいます。
ちなみに、この兵農分離は、江戸時代でも社会の原則として継続されていくことになりますね。
出典:早稲田大学図書館所蔵 刀狩り令
刀狩り令 |
1.農民が刀や脇差、弓、槍、鉄砲などの武器を持つことを固く禁じる。それらの武器を持ち年貢をおこたったり、一揆をおこしたりして役人の言うことを聞かなければ罰する
2.取り上げた武器は、方広寺の大仏の釘や鎹にする。そうすれば、農民はあの世で救われる。
3.農民は農具だけを持ち農業に励めば、子孫代々無事に暮らすことができる。農民を愛するがゆえに武器を取り上げるのだ。感謝し仕事に励め。
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>刀狩り令になぜ農民は素直に応じたのか?
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