歴史年代ゴロ合わせ暗記  

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北朝鮮・金正日時代


 金日成(キムイルソン)がつくり上げた北朝鮮の独裁体制。その後継者となるのが金正日(キムジョンイル)でした。

 1980年10月に開かれてた朝鮮労働党第6回大会で金正日は中央委員序列4位、書記、政治局常務委員、党軍事委員に選出されます。金正日38歳のときです。いきなり、これだけの要職を任されるってことは、つまり後継者決定!ってことですね。

 そして、1994年7月に金日成が死去。金正日は北朝鮮の最高指導者として統治を本格的に始めることになります。



 
金正日統治直後の飢餓

 しかし、金正日が国のトップとなりすぐ(1995年から1998年まで)に北朝鮮を飢餓が襲います。もともと農業がうまくいっていなかったんですが、さらに天候不良やら大洪水などが重なったんです。

 飢餓っていっても江戸時代じゃあるまいし、たいしたことないでしょ?って思ってしまいがちですが、一説によれば死者の数は100〜300万人。北朝鮮vは正式に発表していませんが、脱北した人や韓国の国家情報院のデータなどを元に解析するとそれくらいの餓死者が出ていたそうです。

 なんで、そんなことになったのか?

 北朝鮮では、社会主義国という体制をとっています。日本やアメリカなどは資本主義国ですね。企業のやり方に国は基本的に口出ししないっていう方針。ですから、お金持ちもいれば、貧乏な人もいます。一方の社会主義国はかつてのロシアや中国が中心となっていました。これは、みんな平等に幸せになりましょう!っていう方針。なので国が農業やら工場の生産にも口出ししてきます。農業だけでいえば、集団農場にて国民は働き、その農作物は国に治められそこから農民に食料が配給されるわけです。

 こうなるとべつに人より多く働きたくないんですね。台風が来たりすれば、日本の農業の方なら大慌てで自分の田畑を守るために手を打ちます。しかし、社会主義国の国では、上から支持が来るまではめんどくさいから余計なことはしたくないっていうのが正直なところでしょう・・・。こうして農民のやる気がなくなっていっちゃうんですね。

 さらに北朝鮮の場合は、農業のやり方がメチャクチャだったことも一因です。もともと山が多く、耕地が少なかった北朝鮮は山に段々畑をつくりトウモロコシを植えたんですが、山を段々畑にするってことは、木を伐採するわけです。そのままだと、雨で土砂が崩れるので日本ではミカンや茶など多年草を植えます。しかし、北朝鮮では1年草のトウモロコシ・・・。雨が降るとせっかくの段々畑はすぐに崩壊してしまいます。

 このようなメチャクチャな農業をいたるところで行っていたんですね。しかし、当然、北朝鮮でも「そんなんじゃ、ダメだよ〜」ってわかっていた人もたくさんいたはずです。なぜ、教えてくれなかったのか?

 教えてもいいことないんですね。「上が決めたことに文句があんのか!」なんて言われたら牢屋行きかもしれません。だったら、農業失敗するってわかっていても黙っていわれたことをやっていた方が全然利口ってわけです。

 さらにソ連の崩壊というのも北朝鮮にとっては大きな痛手でした。北朝鮮はソ連と中国からは多大な支援を受けていたのです。

 ソ連からは大量の石炭や石油の援助を受け、支払いは北朝鮮の農作物やら商品やらで行っていたんです。ところがソ連は崩壊します。かつては、50万トンという石油を援助してもらっていたものがロシアになってからは3万トンにまで落ち込みました。しかも、支払いは現金・・・。まぁ、もともと現金があれば、農作物やら商品なんかで支払いしてませんからね。当然、現金なんてないわけです。・・・ということで石油不足になります。そうなると工場が稼働しなくなり、肥料なんかも作れなくなります。農薬もつくるのが難しいでしょうね。つまり、農業不振となるわけです。

 こうなっていたところに大洪水やら天候不良が後押ししてきたわけです。

 脱北した人の話をテレビで見たことがありますが、「当時はこの世の”悪”という”悪”、すべて目にした。」といいます。虚言、強盗、殺人。そうでもしないと生きていくのが難しいほどの時代だったそうです。

 
金正日時代の経済政策

 北朝鮮では「経済管理改善」という経済政策を行っています。2002年のことです。

 北朝鮮は、社会主義ですので住宅の家賃は無料。生活出需品は原則配給、コメなどの主食はかなり安い価格で購入できていました。ちょっと、うらやましいですね。

 しかし、モノが不足し配給も滞ってくると、来るはずの生活出需品はわずかしか来ないし、コメなどは売り切れ続出・・・。もはや、普通の生活もままならなくなっていきます。すると非合法で商品の価格は高いけど闇市という場所に殺到します。

 闇市で売っている米の相場は1キロ49ウォンだったそうです。ちなみに政府が販売していた米の価格は1キロ0.08ウォン。めっちゃ高いんですね。でも、食わなきゃ死んじゃいますから皆、闇市で買うんですね。

 でも、これって闇市で売っている人は相当儲かってますよね。北朝鮮の内部文書では、「固定価格が農民市場価格よりも低いことから商売行為が盛行し、国家には商品が不足しているのに個人は商品に囲まれているという現象が起きている。低い価格空間を利用して国家物資をごっそりかすめとり高く売っているものである。生産は国家が行っているのに商品や金はほとんど全部が個人の手に入っていく」と書かれています。

 つまり、生産に必要な機械やら種やらは国が用意しているのに闇市で売っているような奴らばかりが儲かっている。これじゃいかん!ということで「経済管理改善」を行ったわけですね。

 米の価格は44ウォンと闇市での販売価格と同じくらいの価格にしました。トウモロコシは0.06ウォンだったのを24ウォンに石鹸なんかも3ウォンだったのを20ウォン。電力やガソリン、地下鉄料金なども上がりました。

 家賃も有料とし、労働者の月給は110ウォン程度が平均だったのを2000ウォン程度まで上げます。平均的には18倍程度の賃金引上げとなりましたが、これは一律的にではなく多くの仕事をして多く稼ぎを上げた人にはたくさん分配して、少ない働きの人には少なく分配するという形にします。

 まぁ、政府の配給や特別に安い価格で売っている米などあてにせず、頑張って働きなさい、そうすれば国の経済もよくなるっていう発想ですね。

 これなら闇市で売っている人は儲からなくなるので闇市は減っていきます。労働者もがんばって働こう!という具合になるはずです・・・。

 しか〜し!この経済改革を成功させるためには生産を上げなきゃならんのですね。もともとモノが不足してしまったので需要が供給を上回るかたちで高い闇市でも買うしかないと国民は迫られたわけです。経済の管理改善を行っても供給が上がらなかったら、また闇市で国民は米やら生活出需品を買うことになります。今度は、1000ウォンくらいで買わなきゃならなくなるかもしれません。すると、”インフレ”になるんですね。

 事実、その後、北朝鮮経済はインフレに苦しむことになります。

 
金正日時代・核開発

 2002年2月、北朝鮮は凍結していた核施設の運転を再開すると発表しました。

 もともと北朝鮮は1985年にソ連から原子力技術をもらい黒鉛炉という種類の原子炉を建設していました。ですが、原子炉からはプルトニウムという核兵器の材料になるものが使用済み核燃料からとれるんですね。これじゃ危険ってことで核拡散防止条約というのがあります。核技術を軍事目的に転用していないかIAEAの査察を受けることなどが条約では義務づけられています。

 北朝鮮は、この核拡散防止条約に加盟することを条件としてソ連から核技術支援を受けていたんです。ですが、実際のところIAEAの査察は拒否。1992年になってようやくIAEAの査察を受け入れます。しかし、この査察により原子炉の近くにプルトニウムを取り出して加工するような工場があることが見つかってしまうんですね。超怪しいので工場の中を見せてくれとお願いしても北朝鮮の答えは”NO”。そして、北朝鮮は1993年3月に核拡散防止条約を脱退してしまいます。もはや、核兵器作ってますといっているようなもんです。

 当時のアメリカ大統領はクリントン。彼は、北朝鮮に圧力をかけ、一時はアメリカと北朝鮮の戦争にまでなりかけました。しかし、いざ戦争となるとアメリカ、韓国も当然無傷ではありません。多くの死傷者と多額の費用が必要であることが想定されるわけです。そりゃ、マズいねってことで、「じゃ、空爆で限定的に北朝鮮の核施設を攻撃するぞ!」と北朝鮮に対して脅しをかけます。

 「いや〜。それもできることなら避けたいでしょ。」と考えたのがジミー・カーター。彼は金日成と会談し、北朝鮮に黒鉛炉の代わりに軽水炉というプルトニウムが取り出しにくい原子力発電所を建設し、その発電所ができるまでの間は火力発電所が稼働できるよう燃料の重油を毎年50万トン無償で送るということを約束します。実際のところ、費用はアメリカのみならず韓国、日本、オーストラリア、ニュージーランド、EUが負担することになるんですけどね。まぁ、戦争になるよりはずっといいわけです。

 よかった。よかった。となっているところに2002年、北朝鮮がプルトニウムではなくウラン濃縮の方法で核兵器を造っているんじゃないか?という情報がでてきます。そして、北朝鮮もそれをあっさりと認めました。

 その後は原子力施設に常駐していたIAEA(国際原子力機関)の調査官を退去させ、核拡散防止条約からも脱退。核開発を進めていくことになります。

 
金正日時代・拉致問題

 北朝鮮が核開発を進めていることを認めたのと同じころ。2002年9月17日のことです。小泉総理大臣が北朝鮮を訪問して金正日と会談。「日朝平壌宣言」を発表しました。

 この時、日本側は過去の植民地支配によって朝鮮の人たちに多大な損害や苦痛を与えたことについてお詫びを表明し、また北朝鮮側も日本人の拉致を認め謝罪をしました。このことにより、日本と北朝鮮は国交を結び正常な関係を築き上げていくための話し合いを進めることに合意をしたわけです。

 しかし、北朝鮮によれば拉致被害者の現在はその多くが死亡という発表。日本からはそんなはずはないという反感の声があがります。

 一方の北朝鮮からも一時帰国させた拉致被害者はその後、北朝鮮に帰すという約束だったのに日本は約束を破ったとして抗議の声が上がり、その後の交渉については日程などが決まらず中断となりました。

 その後、金正日は2008年に病で倒れ、2011年に心筋梗塞のため死亡しました。享年70歳でした。

 その後は、三男、金正恩が後を継ぐことになります。