キング牧師
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マーチン・ルーサー・キング(キング牧師)は1929年、アメリカのジョージア州で生まれます。1950年~1960年代の人種差別をなくす運動(公民権運動)のリーダーとなった人です。
35歳という若さでノーベル平和賞に選ばれています。
では、このキング牧師について少し詳しく見ていってみましょう。
キング牧師、牧師というからには、当然、宗教家の人ですね。しかし、彼自身は法律家と宗教家どちらの道を選ぶか迷っていた時期もありました。しかし、父親が宗教家だったこともあり、結局は宗教家の道を歩みます。
1947年には牧師の資格を取得。1948年に大学を卒業しますが、その後、3年間大学院生として神学校に通いますが、この時に非暴力を貫きインド独立のために尽くしたガンジーに影響を受けたそうです。
昔、アメリカではアフリカから連れてきた黒人を奴隷として働かせていました。1863年にリンカーン大統領によって奴隷解放が宣言されますが、当時は、まだ人種差別が残っており、バスでは白人優先席があったり、州の法律で選挙権を奪ったりと黒人はひどい扱いを受けていたんですね。
そこでキング牧師は立ち上がります。バスの白人優先席の廃止を求め、黒人たちにバスに乗らぬように呼びかけボイコット運動を開始したりしています。
このような運動は徐々に大きなうねりとなっていき、1963年のリンカーン奴隷解放宣言からちょうど100年目の年には20万人もの人が大行進し、キング牧師はリンカーン記念堂の前で”あの”有名な演説をすることになります。
「I Hava a Dream」
わたしには夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等につくられているということは、自明の真実である」というこの国の信条を真の意味で実現させるという夢である。
わたしには夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつて奴隷の息子たちとかつて奴隷の所有者の息子たちが兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
(中略)
自由の鐘をなり響かせよう。これが実現する時、そして自由の鐘を鳴り響かせる時、すべての村やすべての集落、あらゆる州とあらゆる町から自由の鐘を鳴り響かせる時、われわれは神の子がすべてが、黒人も白人もユダヤ教徒もユダヤ教徒以外もプロテスタントもカトリックも共に手を取り合ってなつかしい黒人霊歌を歌うことのできる日の到来をはやめることが出来るだろう。「ついに自由になった。ついに自由になった。全能の神に感謝する。我々はついに自由になったのだ」
この時のキング牧師の演説は人々の心を動かし、翌年には人種差別をなくす公民権法が成立しました。
1968年4月4日、テネシー州メンフィスの宿で白人至上主義者といわれる白人がもっとも優れているという考えを持つ人により、キング牧師は殺されてしまいます。
キング牧師の息子は、それからの50年を振り返り、次のような発言をしています。
「たしかに進歩はあったが、父が望んだ状況には到底及んではいない」
白人と黒人との間での高校進学率などはほとんど差がない状況となっているのですが、現在でも収入の格差には開きがあったりするようです。このような状況を嘆いているわけですね。
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