歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記歴史の真実前方後円墳

前方後円墳って、なんであんな形なの?




 前方後円墳とは、江戸後期に蒲生君平(がもうくんぺい)という人により名づけられました。現在の人が見れば、鍵穴に見えるこの前方後円墳ですが、蒲生君平は牛がひく宮車にたとえたそうです。丸く高さがあるところに人が乗り、四角の部分が車のくびきに見立てたといいます。だから、前方後円墳。普通なら円の部分が前でもよさそうなので前円後方墳となってもよさそうですが、勝手に前方後円墳にしてしまった訳ですね。

 しかし、この前方後円墳。なんであのような鍵穴の形になったのでしょう。

 基本的には、円の部分が埋葬場所となり、四角の部分が祭壇として使われていたようです。その埋葬部分である円の部分と祭壇である四角の部分をくっつけてしまったようですね。

 なお、この巨大な前方後円墳が作られたのは、6世紀まで。6世紀の後半になると前方後円墳は姿を消し、円形または長方形の墓が主流となっていきます。