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歴史年代ゴロ合わせ暗記古代ローマの歴史>コンスタンティヌス帝

   

コンスタンティヌス帝 キリスト教公認

 
 コンスタンティヌスと名のつく人はたくさんいるのでややこしいけど、ここでいうコンスタンティヌス帝はコンスタンティヌス1世。ローマ帝国史上初めてキリスト教を公認した皇帝のことを説明していきます。



 さて、このコンスタンティヌス1世ですが、彼が何をやったのか?有名なのがやはり313年のミラノ勅令でキリスト教を公認したことですね。

 ローマ帝国の前皇帝ディオクレティアヌスはキリストの大弾圧を行いました。しかし、うまくいかなかったんですね。そこで、コンスタンティヌス1世は考えたんです。「弾圧がダメなら共存しかないな・・・」

 そしてキリスト教の公認です。もはや、ローマ帝国全土に広がっているキリスト教を弾圧するよりも公認してしまった方がいいなってことです。

 そして、313年にキリスト教をはじめとするすべての宗教を公認することにしたんです。

 さらに325年にはキリスト教の解釈の統一を図るために会議を行います。(二ケーア公会議)何で会議なんて開いて解釈の統一を図るの?って思いますよね。当時は、イエスが亡くなってすでに300年ほど経っていましたので多くの宗派にわかれて解釈も変わってきてしまっていたんです。

 代表的なのがアリウス派とアタナシウス派。アリウス派っていうのは「イエスはあくまで人間である」という考えを持っています。一方のアタナシウス派は、「イエスは神である」という考え。これは後に三位一体説という考えに発展していくんですが、簡単に説明しますと「父なる神、子なるイエス、そして聖霊は一体である」といった考え。まぁ、つまりはイエスは神であるってことです。

 現在では、アリウス派の方が現実的で理解できるように思えますが、当時ではアタナシウス派が正統な教義と会議で決まることになります。

 さて、コンスタンティヌスですが、このキリスト教公認の他にも四分統治の廃止を行います。四分統治とは前皇帝ディオクレティアヌスが広くなりすぎた帝国を1人で統治するのは無理だと考えて国を4つに分けて2人の正帝と2人の副帝とで統治することにした政策でしたね。しかし、ディオクレティアヌス帝の時代が過ぎると無理が出てきてしまうんです。野心を持った複数の皇帝が統一を狙って争うようになってきたんですね。ですから、コンスタンティヌスは、この混乱を収拾して324年に四分統治を廃止してローマ帝国を再統一します。

 また、330年にコンスタンティヌスは都を移しました。場所はビザンティウム。ここをコンスタンティノープルと名前を変えて都としたんです。今のイスタンブルですね。



 これは、アジアなどとの商業が活発な地域に都を移しておくことが目的でした。

 さらに、コンスタンティヌスは財政安定のために職業や身分を固定。ソリドゥス金貨という金貨も作りました。



 
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