孝謙天皇(称徳天皇)
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孝謙天皇(こうけん)は、聖武天皇を父として718年に生まれ、738年に皇太子となりました。孝謙天皇は、日本で始めての女性の皇太子となった人です。
考謙天皇も父親の聖武天皇同様に仏教への信仰は厚く、753年に東大寺の大仏が完成すると開眼供養を行ったのは有名です。
この孝謙天皇は独身で子供がいなかった為、皇太子を誰にするべきかが当時大きな問題でありました。この時、大きな力を握っていたのは、藤原仲麻呂という人。この仲麻呂の推薦で大炊王(おおいおう・天武天皇の孫)を皇太子にすることを決めます。この大炊王とは、仲麻呂の息のかかった人物です。仲麻呂には息子がいましたが、その息子が亡くなった為、息子の妻の新しい夫・・・とちょっと複雑ですが、兎に角、仲麻呂と関係の深い人物でした。
このように、孝謙天皇は仲麻呂に大きな信頼を寄せており、その後、皇位を大炊王に譲ります。
と、ここまで孝謙天皇と時の権力者、仲麻呂の仲は非常に良かったのですが、その後、ドラマチックな展開が待っています。
そう、怪僧といわれた道鏡と考謙上皇との出会いです。
761年、病で倒れた考謙上皇をひとりの僧侶が看病します。そう、それが道鏡だったのです。見事に病を治してみせた道鏡。その後、考謙上皇は道鏡に絶対の信頼を寄せるようになっていきます。
いったんは、皇位を大炊王に譲った孝謙天皇でしたが、上皇となっていた考謙上皇は、再び政権を取り戻すことになります。これには、裏で道鏡の思惑もあったと推測できます。
そして、仲麻呂を謀反の罪で捕らえ、淳仁天皇(大炊王)の帝位を廃止すると、寵愛する道鏡に法王の位まで授けます。そして、考謙上皇は、再び天皇の座につき、称徳天皇となりました。
その後、道鏡は天皇の座まで狙うのですが失敗。
770年に称徳天皇が崩御すると後ろ盾をなくした道鏡は、下野国の薬師寺別当に左遷されてしまいました。
ひとりの僧侶を愛し、彼の言うがままにすべてを与えた女帝。愛に生きた彼女は生涯独身を貫き通し、天皇の身でありながら子をもうけることもなかったのですが、その生涯は幸せだったのかもしれません。
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