歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記>孔子

孔子


 中国で史上最高の聖人と呼ばれている孔子(紀元前551~紀元前479年)。古代中国の思想家で礼と仁、考と忠を軸とした政治を理想とし諸国をめぐり、その後は教育と著述に専念しています。

 彼の思想と言行をまとめた『論語』は、日本にも応神天皇の時代に伝わったとされており、日本の政治にも大きな影響を与えました。

 孔子の教えを元にした思想、信仰、哲学を儒教と呼ばれ、江戸時代の4代目徳川家綱の時代からは特に重視されてきました。

 現在でも論語は学校で熱心に教えているところも多いですよね。

 では、今回は、孔子について簡単に見てきましょう。



 孔子の出身階級はよくわかっていませんが、あまり高くなかったようで葬礼に住持した巫女の家に生まれたという説があります。

 時代は、春秋と呼ばれる時代。という国が分裂し、200以上もの国が乱立。争っていました。晋、斉、楚、秦、魯、衛、陳、蔡、曹、鄭、燕、周などの国です。孔子が生まれたのが魯という国。この国は、もともと周の国の王様の弟が立てた国です。

 ですから、周の文化が多く残っていました。孔子は、失われつつある周の文化、政治を残念に思い、全盛期の頃の周の文化を復活させる思想を掲げて行動していきます。

 そして、ついに魯の国で大臣にまでのぼりつめることになるのです。

 彼は、とても有能な政治家でわずか3カ月で商人たちは正直な商売をするようになり、男女が歩くときは少し離れて歩くほど道徳的になり、道に落とし物があっても盗んだりはしないといった国へと変化していったそうです。

 しかし、孔子はその後、勢力争いに負けて国を去ることになります。その後は、弟子を連れて放浪の旅に出るのです。

 いくつのも国を孔子とその弟子はまわりますが政治家としては用いてもらうことができず、この時の様子を『史記』では、喪家之狗、家のない犬と表現しています。

 真面目で正論を振りかざす人は普通の人にしたら、ちょっと付き合いづらい・・・。ってことなのかもしれませんね。

 69歳の時に魯に戻ると孔子は74歳で亡くなるまで史書の研究や古典の整理などを行います。

 儒教では、「素王」と呼ばれ無冠の王と呼ばれた孔子。2500年もの間、人々に影響を与え続けている彼の思想は現在の我々日本人の思想にも影響を与えております。

 余談ですが、孔子ってなんだか小さい老人のイメージがある人も多いお思いますが、実は216センチもあったといわれていますよ・・・。