クロムウェル
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クロムウェルといえば、ピューリタン革命にて議会派を指導。鉄騎隊やその後の組織「新型軍」を率いて活躍したことで有名ですね。
では、このクロムウェルについて少し詳しく見ていきましょう。
クロムウェルはイングランドの東部、ハンティントンという町に生まれました。先祖にはトマス・クロムウェルというヘンリ8世の側近となり、イギリス国教会の成立に尽力した人がいます。ですから、血筋はいいんですね。しかし、裕福というほどではなかったようです。
ケンブリッジ大学にて学び、その後、議会派議員として活躍します。しかし、本当に有名になるのは、やはりピューリタン革命にて・・・。
ざっくりですけど、ピューリタン革命について説明しておきますね。これは、イングランドとスコットランドの王様を兼任するチャールズ1世が議会との関係をこじらせた事に始まります。議会をすぐ解散させたりするくせにピンチになると議会を召集するんです。
そんなんですから、議会を召集しても王様の言うとおりに皆しないんですね。王様の要求にNOが突きつけられちゃうんです。怒ったチャールズは反王派の議員を逮捕に乗り出したりするんですね。それで、もう議会と王との間は修復不可能な状態。そして武力衝突が始まるわけです。
そこで、議会派の中で特に活躍したのがクロムウェル。1644年のマーストンムーアの戦いでは、クロムウェルが率いる「鉄騎隊」が王党派を撃破!翌年のネーズビーの戦いでもクロムウェルは大活躍し議会派の勝利は決定的となります。
1653年には最高官職の護国卿(ごこくきょう)に就任。そして、1657年には議会から王の座につくように要請されますがクロムウェルは、これを断っています。ですが、実際は国王が即位する際の儀式などをすべて行っていますし、護国卿を世襲制にしていますのでほとんど国王と同じ地位を手に入れていました。
しかし、彼の死後、クロムウェルの三男であるリチャード・クロムウェルが1658年に後を継ぎ2代目の護国卿となるとカリスマ性に欠けた息子は国をまとめることが出来ず1660年には王政復古、つまりチャールズ1世の息子が再び王として担ぎ上げられるんですね。
もう、こうなるとチャールズ1世を王の座から引き摺り下ろしたクロムウェルは反逆者扱いです。クロムウェルの遺体はロンドンの処刑場に吊るされることになります。
ですが、現在では、彼の名誉も回復。ヨーロッパ初の市民革命の指導者として現在はイギリスのロンドンにある国会議事堂の正門に彼の銅像が立っています。
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