810年・薬子の変
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810年、平城(へいぜい)天皇と嵯峨(さが)天皇が皇位をめぐって争った兄弟喧嘩?を薬子の変(くすこのへん)といいます。
では、薬子の変について、すこし詳しく見てみましょう。
806年、桓武天皇が亡くなるとその子である平城天皇が皇位を継ぐのですが体が弱く、たった3年で退位し弟の嵯峨天皇に皇位を譲ります。
・・・と、ここまではよくある話ですね。ところが、しばらくすると平城天皇は、すこし元気を取り戻し始めます。ここからが、昼ドラのような泥沼劇の幕開けです。
実は、平城天皇は、まだ皇太子の時にお嫁さんをもらっているのですが、このお嫁さんがまだ若かった為、母親の藤原薬子という女性が一緒についてきました。藤原薬子・・・。薬子・・・。嫌な予感がしますね。薬子の変というからには、この母親が重要な登場人物になってきます。
平城天皇は、なんとお嫁さんより母親の薬子に恋をしてしまうのです!
これが、当時の天皇、桓武天皇にバレてしまい薬子を宮中から追放。しかし、桓武天皇が亡くなり、平城天皇は自身が皇位につくと藤原薬子を呼び戻します。さすがに奥さんには出来ないので女官としてです。そして、平城天皇が天皇であった時期には、薬子の兄である藤原仲成も妹のお陰で権力を振るうことになりました。
しかし、平城天皇は病弱であったが為に3年で皇位を弟に譲るのですが、しばらくすると元気を取り戻してきてしまう。
そこで「体調が戻られたのなら再び皇位についてはいかがですか?」と愛する魔性の女?藤原薬子が平城天皇に耳元でささやく訳です。
たしかに、嘗ては1度やめても再び皇位につく天皇もいた。すっかり、その気になってしまった平城天皇はひそかに兵をあげる準備を薦めるのですが、嵯峨天皇は、810年、坂上田村麻呂に兵を預けるとそれを差し向けあっけなく鎮圧されてしまいます。
この争いを薬子の変といいます。ちなみに、藤原薬子はその後、自殺してしまい。平城天皇は、頭を丸め仏の道に進むことになります。
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