キューバ危機
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キューバ危機とは、1962年10月16日から28日までの13日間。ソ連によるキューバでのミサイル基地建設計画が発覚し、アメリカとソ連との間にて核戦争にまでなりかけた緊張した時期のことをいいます。
では、なぜアメリカとソ連はキューバ危機にまでなりかけたのか、その原因を探っていきましょう。
まずは、当時のキューバの状態から。その頃のキューバは事実上アメリカに牛耳られているような状態でした。キューバはサトウキビなどが有名ですが農民の多くが地主に利益を吸いとられ、地主はアメリカに利益を吸いとられ・・・と、キューバ国内では不満が募っていたのです。
そこにカストロという人物が革命を起こします。このカストロの右腕といわれたゲバラという人物も有名ですね。男前でTシャツにプリントされたり映画にもなっています。
この革命がキューバ革命です。1959年のことですね。カストロらはアメリカと仲の良かったバティスタ政権を倒し革命を成功させます。
そして、土地改革やアメリカ系企業の国有化を進めるのです。しかし、これには当然アメリカから反発がでます。その後、アメリカとキューバは国交断絶。ピリピリムードが漂ってくるのです。
結果、キューバはソ連との関係を深めることになり、カストロは1961年に社会主義宣言を行います。
そこに1962年10月、アメリカのU2型偵察機がキューバの空撮を行ったところ、ソ連の建設中のミサイル基地を発見。このことにアメリカは非常に危機感を抱くんです。
ちなみに当時のアメリカの大統領は?そうケネディ大統領です。この時、ケネディは45歳という若さ!ケネディは、この危険性を取り除く為にキューバ海域を軍事的に封鎖することを決意します。艦艇200隻に航空機1200機を動員したというから本気ですね。
しかし、もしこの状態でアメリカがキューバに空爆でも仕掛けたら、ソ連はベルリンに侵攻し、第三次世界大戦にもなりかねない。これは、もはや核戦争となるだろうと考えられるわけです。
アメリカのケネディもソ連のフルシチョフも核戦争という最悪のシナリオに恐怖し「トルコにあるアメリカのミサイル基地を撤去すれば、キューバのミサイル基地も撤去しようじゃないか」というソ連側の申し出をケネディは承諾し最悪のシナリオは避けることができました。
ちなみにホワイトハウスとクレムリンを直接結ぶホットライン協定や部分的核実験停止条約の締結などはこの時の産物ですね。しかし、1963年11月にケネディが暗殺されると2人の密約時代も終わりを告げることになります。
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