マッカーサー
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ダグラス・マッカーサー(1880年~1964年)とは、アメリカの軍人で太平洋戦争開戦時は極東軍司令官。連合国軍最高司令官として日本占領にあたり、戦後の日本に大きな影響を与えた人です。
ところで、マッカーサーというと印象深い写真を2枚、私たちは知っていると思います。
1枚は、教科書などにも出ていますね。1945年8月30日に神奈川県厚木にあった日本海軍の飛行場にアメリカ軍の要人専用機にて登場した、あのパイプを加えたマッカーサーの写真です。
威圧感が半端ないですね。
「はい、今度、このクラスの先生になる人を紹介しま~す」
・・・で、あれが出てきたら「やべーヤツ来た!」ってなりますね。
でも、実はあの写真は計算されて撮影されたものなんです。あらかじめ日本の新聞社に連絡があり、カメラマンたちはスタンバイ。さらには、降りてくるときにマッカーサーが目立つように他の人たちは飛行機に待たせておいてマッカーサーだけが出てきたところを撮影。他の人たちは、少し待たされてから飛行機を降りてきたんですね。
もう、撮影されるのはわかった上でパイプをくわえて表情つくって出てきたわけです。
さらに飛行機が降り立ったのは厚木。羽田空港なら比較的安全だったはずなんですが、あえて日本兵がまだいる厚木の海軍航空隊の基地を選んでいます。これも「俺たちは日本兵なんぞ、怖がってないぞ!」というアピールなんですね。
また、もう一枚、マッカーサーの写真で有名なのが昭和天皇とマッカーサーが写された写真。これは、戦後直後の9月27日に昭和天皇と通訳1人だけでマッカーサーのいるアメリカ大使公邸を訪れた時に撮影されたものです。
最初、マッカーサーは、パイプをくわえたまま椅子から立ち上がろうともしなかったといいます。写真でも随分くつろいだ態度で撮影されていますね。昭和天皇は正装しているのに・・・。
しかし、この時に天皇は「私は、戦争の全責任を負う者として、あなたの国の裁決にすべてをゆだねます。(つまり、極刑を言い渡されても受けるということです。)ただ、国民は住む家もなく、着る物も不自由し、食べるのもままならぬ状態です。どうか、この国民の衣食住のみはご高配賜れますように・・・」とマッカーサーに伝えます。
自分の命よりも国民の命を助けてほしいと頼んだ天皇の姿にマッカーサーは感動し、天皇と日本人に敬意を抱いたといわれています。
その後、連合国最高司令官として戦後の日本を指導し、日本を民主国家に導いていくことになるマッカーサー。写真一枚とっても計算し、利用する。やっぱり、スゴイ人だったんですね。
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