マララ・ユスフザイさん
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2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさん。彼女は、どんな家庭で育ち、どんな活動を行ってきたのか?知っている方も多いかも知れませんがあらためて見ていきましょう。
1997年7月12日にマララさんは、パキスタンのスワートという街で生まれます。父親はジアウディンさん。地元で女子学校の経営をしている人です。この父と母は、パキスタンでは珍しく恋愛結婚で結ばれます。普通は、親の決めた結婚相手と結ばれるのがパキスタンでは多いのですが、恋愛結婚とはかなり意思が強いご両親だと思われますね。
ちなみに母親は字を読むことができません。パキスタンでは読み書きできる人は、全体の6割もいないそうです。女性に関していえば、5割以下。つまり、2人に1人は読み書きができません。
マララさんは、父の経営する学校に通い医師を目指し勉強に励んでいました。
しかし、このパキスタンのスワートという街にパキスタン・タリバン運動(TTP)がやってきて牛耳ってしまうんです。そして、彼らは女子の通学を禁止します。マララさんが9歳の頃ですね。
でも、勘違いして欲しくないのが、イスラム教が女性が学ぶことを禁止しているわけではないんです。イスラム教といっても色々な考え、解釈が長い歴史の中で分かれてしまっているんですね。
そして、マララさんは、ある行動にでます。11歳の時です。イギリスのBBCのブログにペンネームで女性が学校に通うことを禁止しているタリバンに対しての批判を綴ります。そうした活動がイギリスのメディアなどで注目されていくことになります。
その後、パキスタン政府からも実名で表彰を受け、女性の教育を受ける権利などを訴えたことからTTPから標的とされてしまうことになるのです。
そして、2012年10月9日。当時15歳だったマララさんは、下校途中にパキスタン・タリバン運動(TTP)によってスクールバスの中で銃撃にあうことになります。その際に頭と肩甲骨に銃撃を受け瀕死の状態となりますが、イギリスで治療を受け奇跡的な回復をみせます。
その後、2013年には国連に呼ばれ、歴史に残るスピーチをしたことは、みなさんもご存知ですね。
「1人の子供、1人の教師、1冊の本、そして1本のペンが世界を変えられるのです。教育以外に解決策はありません。教育こそが最優先なのです。」
当時16歳です。そして、2014年にノーベル賞受賞者として史上最年少でノーベル平和賞を受賞することになりました。
彼女の父親ジアウディンさんは、マララさんにどんな教育をほどこしたのか?をよく聞かれるそうですが、彼は「私は、何をしたかではなく、彼女の羽根をとらなかっただけだ。みんな、彼女達の羽をとらなければ、マララのように羽ばたいていくことができるんだ」と語っているそうです。
また、マララさんは、2015年9月25日の朝日新聞デジタルの取材に対して、こんなことを語っています。
以下、朝日新聞デジタルより引用させていただきます
”「無人機では、テロの思想を殺すことはできません。そうした考えをやめさせ、子供たちに銃をとらせたくないのであれば、本を与えなければなりません。」と語り、各国が軍事よりも教育や医療に振り向けることこそがテロや過激思想に対抗する最善の道だと訴えた。”
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短い言葉ですが、あらためて、戦争、争いに対する考えを見直させられる言葉ですね。
2015.09.26
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