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マリーアントワネット


 マリーアントワネットといえば、フランスの国王ルイ16世の王妃でフランス革命によって処刑されたことで有名ですね。

 このマリーアントワネット。ものすごい浪費家で派手な生活を送り、そのためフランス国民はひもじい思いをさせれらたようなイメージを持たれることも多いのですが、実は、フランスの財政は、先代のルイ15世の時からすでに傾いていたんです。主な原因は戦争の費用ですね。あと、それまでの王様が多くの愛人をかこっていたというのも小さな費用ではなかったようです。

 それに比べれば、ルイ16世はマリーアントワネット以外の妻妾をもとうとはしませんでしたし、マリーアントワネットもまぁ、ギャンブルや派手な生活は送っていたようですが、それが原因でフランスの財政が傾いたというわけではないんですね。



 ですが、マリーアントワネットがわがままで世間知らずであったというのは本当のようです。宮廷内ではポリニャック婦人というマリーアントワネットお気に入りの寵姫など特定の人間だけしか自身の離宮に入ることを許さなかったといいます。こういった態度をとってしまうと敵をつくってしまうんですね。

 1785年には「首飾り事件」というのが起きます。これは、マリーアントワネットの知り合いだと名乗る詐欺師がマリーアントワネットに心を奪われていた枢機卿に「彼女に渡すから」とウソをつき高額な首飾りを買わせたという事件。まぁ、マリーアントワネットはいわば被害者ともいえる事件なのですが、この事件でもなぜかマリーアントワネットが悪者にされてしまいます。

 また、1791年6月には、幽閉されていたテュイルリー宮殿からオーストリアへの逃亡を謀りますが、ここでもやってしまいます。普通にこっそり逃げ出していけば成功していたかもしれないのにルイ16世とマリーアントワネットは、大きな馬車に荷物をたくさん積んで、さらには観光気分のようにが移動を散策したり、休憩をちょくちょく入れたりとまったり逃亡していたので、案の定、国境付近のヴァレンヌという場所で捕まってしまいます。

 この事件以来、フランス国民は、「国王は他国とつながっている。国王を革命の敵である」と認識するのでした。

 マリーアントワネットの処刑は1793年10月16日。彼女の最後の言葉は、足を踏んでしまった死刑執行人に対して「ごめんなさい。でもわざとじゃないのよ」だったといいます。