インド ムガル帝国
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インドのムガル帝国とは、1526年に建国されたインド史上最大のイスラム国家です。ムガルとは、モンゴルが訛ったもの。建国者のバーブルの母方がチンギスハンの家系であるとされたことから名づけられた他称です。
では、このムガル帝国について学んでみましょう。
16世紀、北インドを制圧していたのはロディー朝(1451〜1526年)。1526年にバーブルの軍はパーニーパットの戦いにてこのロディー朝を打ち破ります。バーブルはそのまま現在もインドの首都となっているデリーを制圧。ムガル帝国を建国しました。
2代目のフマーユーンの時、1度国が崩壊しますが、1555年に復興。その後、3代目のアクバルのもとでムガル帝国は彼の優れた内政のもと大きな繁栄を遂げます。インドといえば、ヒンドゥー教ですね。ムガル帝国はイスラム国家ですが、ヒンドゥー教に対して非常にやさしかった。まぁ、少数のイスラム教徒が多数のヒンドゥー教徒を支配するには融和が大切であると感じとったのでしょうね。
異教徒に課せられた人頭税シズヤを廃止、さらに彼は、ヒンドゥー教徒の女性とも結婚しています。北インドのヒンドゥー教系のラージプート(8世紀以降、実力を蓄えた地方領主)を味方につけると北インドを統一します。首都をデリーからアグラに移したことも覚えておきましょう。
5代目シャー・ジャハーンの時にはインドイスラム文化が成熟することになります。その最たるものがタージ・ハマル廟。世界遺産にも登録されている総大理石築の壮大なお墓ですが、これはシャー・ジャハーンが死んだ王妃ムムターズ・ハマルのために建設しました。
17世紀半ばに帝位についた6代目のアウラングゼーブ帝の時には最大領土を誇ることになります。しかし、彼は熱狂的なスンナ派のイスラム教徒。人頭税シズヤを復活させ、ヒンドゥー寺院を破壊。当然のように反イスラム教徒からは反感を買いイスラムとヒンドゥーの対立が激化していくことになります。
特にインドの西北地方のシク教徒やデカン地方のヒンドゥー教徒のマラーター王国などは激しく抵抗しムガル帝国は弱体化していくことになります。
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