古代ローマ 内乱の1世紀
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古代ローマでは、BC133年のグラックス兄弟の改革から始まりBC27年に帝政が始まるまでの約100年間、内乱の1世紀という時代を経験することになります。
まぁ、100年もあるのでいろいろなことがおきますね。
重要な項目をまとめると以下の通りです。
@ グラックス兄弟の改革 |
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Aマリウスの軍制改革 |
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Bスラ、ポンペイウスの活躍 |
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C第1回三頭政治 |
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Dカエサルの独裁 |
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E第2回三頭政治 |
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Fプトレマイオス朝を征服 |
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帝政へ |
では、簡単に説明していきますね。
@まずは、グラックス兄弟の改革。
ローマは勢力を拡大していく中でいくつもの問題を抱えることになるんです。長きに渡る戦乱で耕地が荒れ果て、属州から安い食料が入ってきたりして中小農民が危機的状況に陥ったリしてね。逆に有力者たちは、彼らが手放した土地を買占め、奴隷をつかって大規模な農業経営にのりだします。
そこで、グラックス兄弟の兄、ティベリウスはBC133年大土地所有を制限して、農民に土地を再分配しようと試みるんです。しかし、この改革は有力者達の反対で失敗。兄は暗殺され、兄の意思を次いだ弟も暗殺されます。
Aそして、次に登場するのがマリウス。
マリウスは傭兵制を導入します。それまでは、基本的に武器は国が支給するのではなく、自分で買って戦争に行かなければならなかった。つまり、中小農民の生活が危うくなると彼らは武器も買えない。つまり、国のために戦争に行くこともできない・・・。と、彼らの生活が貧窮すると国もピンチとなってしまうんです。
だから、グラックス兄弟も中小農民を助け、国防の危機を克服しようと改革に乗り出したわけです。しかし、失敗。そこでマリウスは、給料を支払う傭兵制を導入。”武器は自分で買いなさい”という原則も撤廃します。
そして、マリウスは彼らをつかい北方から襲ってきたゲルマン人や北アフリカでの反乱を鎮圧します。
おっ、マリウスのおかげでローマも落ち着いたんじゃない?と思われがちですが、しかし、この改革は、兵の私兵化へとつながるんです。兵士たちは、ローマに忠誠を尽くすというより、将軍たち個人に忠誠を誓ってしまうんですね。結果、彼ら将軍たち有力者が力を持ち、内乱状態は一層深刻化していくんです。
Bそして、次に登場するのがスラやポンペイウスといった人物。
マリウスが平民を支持基盤とする平民派だったのに対してスラは閥族派といわれる名門出身で保守的な支持層のグループ。
マリウスは徴兵制などの軍制改革を行い、異民族や属州の反乱を押さえ込みましたね。一方のスラも市民権の付与を訴え反乱を起した同盟市連合の反乱(同盟市戦争)において、彼らに市民権を与え解決することに成功しました。
このマリウスとスラは後に争うことになりますが最終的にはスラが勝利し、平民を粛清していくことになります。
その後も内乱や戦争がローマを襲います。BC73年にはスパルタクスの乱。これは奴隷の反乱ですね。スパルタクスという人は剣奴(けんど)。つまり、見世物として殺し合いをさせられる奴隷ですね。グラディエイターといった方がわかりやすいかな。このスパルタクスの乱を鎮圧したのがポンペイウスとクラッススという人物です。
BC63年には、ポンペイウスによってシリア・パレスチナ辺りを支配していたセレウコス朝を滅ぼします。
この当時のローマでは、内乱や戦争が頻繁に起こったんですね。ですが、マリウスやスラ、ポンペイウスらの活躍により、なんとか持ちこたえるわけです。
この彼らの活躍は、ローマの中に風潮の変化をもたらします。
それまでのローマは共和政といってみんなで政治を決めましょうという政治体制でした。しかし、数名の天才たちによって反乱は押さえ込めちゃうし、戦争にも勝っちゃった・・・。
「もう、共和政じゃなくて彼らに任せちゃってもいいんじゃない?」ってなってくるんですね。
C第1回三頭政治
能力のない政治家たちは、天才たちに権力が集中するのを当然嫌います。
そこで3人の天才たちは、手を組んで俺たちで政治を動かしていこうぜ!ってことになります。これが、第1回三頭政治。メンバーは、ポンペイウス、クラッスス、そしてカエサルです。
軍に支持されるポンペイウス、騎士階級から支持されるクラッスス、平民の人気を集めたカエサルとそうそうたるメンバー!
ですが、いくら天才が集まったとはいえ、3人だけではどうにもなりません。民衆の支持が必要なわけです。そこで、彼らは戦争を起して、それに勝利することで人気を得ようとします。
カエサルは、ガリアなどへ遠征。クラッススはパルティアへ遠征。しかし、クラッススは戦地で亡くなってしまいます。
すると、ポンペイウスはカエサルを裏切ることになるんです。「クラッススがいなくなった今、カエサルは最終的にお前の敵になるぞ」って政治家たちにそそのかされるんですね。
そのポンペイウスの裏切りをしったカエサルが言った言葉は有名ですね。「骰子(さい)は投げられた」です。結果、ポンペイウスは敗北し、その後はカエサルの独裁政治へと変わっていきます。
Dカエサルの独裁
BC45年からカエサルの独裁体制が始まりますが、しかし、そんな彼の時代も長くは続きませんでした。
暗殺されてしまうんです。
E第2回三頭政治
カエサル亡き後、カエサルの部下であったアントニウスとカエサルの養子であったオクタヴィアヌスは、カエサルを暗殺したブルートゥスとカッシウスをやっつけ、彼ら2人と将軍レピドゥスの3人で第2回三頭政治が展開されていくことになります。
第2回三頭政治メンバー |
オクタヴィアヌス、アントニウス、レピドゥス |
しかし、歴史は繰り返されるんです。BC43年から第2回三頭政治は始まるんですが、BC36年にはレピドゥスがオクタヴィアヌスに歯向かって失脚させられちゃう。そうなると、もうわかりますね。残った2人は対立するんです。
この時、アントニウスには強力な味方がいました。それが、かの有名なクレオパトラ。
彼女のことは、別のページで詳しく説明しますが、クレオパトラはプトレマイオス朝エジプトの女王です。
>エジプト王国クレオパトラ
Fプトレマイオス朝の征服
オクタヴィアヌスVSアントニウスの争いは、クレオパトラがアントニウス側についたことから、形式上はローマの内戦ですが、実際にはローマVSエジプトの様相を呈していました。
BC31年にはギリシア沖でオクタヴィアヌスのローマ海軍とアントニウス、クレオパトラの率いるアントニウス派のローマ軍とエジプト軍が連合して激突します。これがアクティウムの海戦。
この戦いにてオクタヴィアヌスは勝利。同時にプレトマイオス朝エジプトをも滅ぼしローマの内乱1世紀は終わりを告げ、帝政ローマの時代へと移り変わっていきます。
>帝政ローマ・アウグストゥス時代
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