歴史年代ゴロ合わせ暗記  

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南京条約の内容


 アヘン戦争の中国側の敗北によって1842年にイギリスとの間で結ばれたのが南京条約(なんきんじょうやく)ですね。

 この南京条約の内容については、学生さんではよくテストに出題されるので覚えておきましょう。

 まずは、
公行(こうこう)の廃止。これは、の貿易業者の組合のことですが、これを廃止させます。この組合の廃止によってイギリスは誰とでも取引が出来るようになるんですね。

 次に
5港の開港。広州、福州、厦門(かもん、アモイ)、寧波(ねいは、ニンポー)、上海の5港です。これは、場所も覚えておきましょうね。これによってイギリスは綿織物がスムーズに中国へ輸出できるようにします。



 ちなみにアヘン戦争以前は片貿易といって清から茶を輸入するだけで、イギリスは綿織物などを輸出ができずに大幅な貿易赤字になっていたんですね。まぁ、中国には絹などの高級な布地の文化があるのでイギリス製の綿は人気薄だったんです。そこでイギリスは、植民地のインドを経由してアヘン(麻薬)を清に輸出し始めたんです。清では、アヘンの吸引、輸入も禁止しますが、それでもイギリスはアヘンの密輸を続け、ついには戦争となったわけです。

 つまり、イギリスとしては、兎に角、自国に有利な条件で貿易ができるようにしたかった!ですから、南京条約では清にとっては極めて不平等、イギリスにとっては有利な条件で条約が結ばれます。

 話は戻りますが、あと
香港島の割譲。この香港島が中国に戻ってくるのは約100年後になります。1997年ですから、記憶に新しいところです。

 ちょっと余談ですが、割譲というのは貰うということ。つまり、本来なら返す必要はないんです。しかし、イギリスは、この後も1860年に香港島の対岸の九龍半島の一部も割譲させ、1898年には、その九龍半島の付け根にあたる新界という地域を租借します。租借っていうのは借りるってことです。この新界の借りられる期限が99年。ですから、新界を返すときに香港島や九龍半島の一部だけ持っていてもなぁ・・・。ということになったんですね。まぁ、中国からの圧力があったのも事実ですけど、香港だけは中国の共産化に巻き込まず、自由社会のままでいいという条件でイギリスは香港を返したんですね。

 話は再び南京条約に戻りますが
多額の賠償金というのもおまけでついてきますよ。

 下の表が南京条約の主な内容です。

京条約の内容 
公行の廃止  公行とは清の貿易業者の組合のこと。これによりイギリスは誰とでも自由に取引が可能になる。  
5港の開港  広州、福州、廈門、寧波、上海の開港。イギリスは綿織物の中国への輸出がスムーズになる。
香港の割譲  香港が割譲された後も1860年には香港島の対岸の九龍半島の一部が割譲され1898年には、その九龍半島の付け根にあたる新界という地域がイギリスに租借(借りる)されることになります。


 しかし、その後もイギリスによる清への圧力は続きます。

 まず、1843年7月の
五港通商章程(ごこうつうしょうしょうてい)。これは、開港した5港での貿易に関する取り決めなのですが、これによって清はイギリスに領事裁判権(りょうじさいばんけん)を認めさせられます。領事裁判権とは、治外法権と言った方がわかりやすいでしょうか?これは清国にてイギリス人が悪いことをしても清の法律では、そのイギリス人を裁けないということ。では、イギリス人はどこで裁かれるのか?それは、イギリス本国でイギリス人によって裁かれるんですね。つまり、イギリスは清国でやりたい放題ってことですね。

 同じ年の10月南京条約の追加項目として広州の虎門で
虎門寨追加条約(こもんさいついかじょうやく)が締結されます。これにより清はイギリスに対して関税自主権を失うことになります。また、難しい言葉が出てきましたね。関税自主権!

 普通、輸入品にはその国が自由に関税といって税金を掛けることができます。これは、自国の産業を守るためのもので安い外国車なんかが大量に輸入されたら日本でも日本車が売れなくなっちゃう可能性があるでしょ。ですから、外国車には高い税金を掛けて日本国内で販売するときは、高い値段になるようにしてるんですね。しかし、この条約によって清は自国で関税を決めることができなくなり、イギリスとの協定によって関税を決めるということになります。

 さらにイギリスは
片務的最恵国待遇(へんむてきさいけいこくたいぐう)をも獲得します。片務的というのは片方の国だけに義務を強制するということ。つまり、この場合、清の方ですね。最恵国はイギリスのこと。つまり、清はイギリスを「最恵国」として待遇する義務があるということです。

 どうゆうことかというと、イギリスは清にとって最恵国であるわけですのでイギリス以上の高待遇を他の国に認めちゃだめですよ。ということ。つまり、フランスからの輸入品の関税を20%にするとします。その時、イギリスからの輸入品が25%の関税が掛っていたとしたらフランスの方がイギリスよりも有利な条件となってしまうのでイギリスの関税を20%に引き下げなければならないということです。

 もうイギリスはやりたい放題ですね。しかし、その後、清は他の国にまでもたかられることになっていきます。アメリカとは
望廈条約(ぼうかじょうやく)。フランスとは黄埔条約(こうほじょうやく)といってイギリスに与えたのと同様の条件を認めさせられてしまうんです。