奈良・平安時代の年代暗記
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710年。唐の長安にならって造られた平城京が都になる。(この後、約80年間を奈良時代という) |
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723年。三世一身の法。(さんぜいっしんのほう)
荒れた地を開拓した者は1代、新たに開墾した者には3代まで土地の私有を認めた。 |
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743年。墾田永年私財法。(こんでんえいねんしざいほう)
三世一身の法では、思うように土地の開墾が進まなかった為、、墾田永年私財法では、新たに開墾した土地をずっと私有していていいことにした。 |
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794年。平安京が都になる。(この後、約400年を平安時代という) |
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894年。遣唐使の中止。
唐の衰えにより菅原道真(すがわらのみちざね)が遣唐使の中止を進言。 |
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935年。平将門(たいらのまさかど)の乱。
平将門が関東で乱をおこす。関東を支配下に置き、新皇と称したが、翌年には地方武士に滅ぼされる。 |
1016 |
遠い昔(1016)。長い道に迷った藤原くん。 |
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1016年。藤原道長(ふじわらみちなが)が摂政となる。
藤原氏、全盛期。 |
1156 |
いいころ(1156)じゃない。方言(ほうげん)そろそろ直しても。 |
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1156年。保元(ほうげん)の乱。
後白河天皇と崇徳上皇が対立。それに、兄弟喧嘩中の藤原氏も二手に分かれて加担。結果、天皇側の勝利となったが、この争いで大きな役割を果たした武士が力をつけるきっかけとなった。 |
1159 |
いいコック(1159)は平常(へいじょう)心を忘れません。 |
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1159年。平治(へいじ)の乱。
保元の乱で力をつけた、平清盛(たいらのきよもり)と源義朝(みなもとのよしとも)が勢力争い。結果は、平清盛の勝利。 |
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1185年。平氏の滅亡。
壇ノ浦の戦いに敗れた平氏は滅亡。この戦いに勝利した源義朝の子、源頼朝(みなもとのよりとも)が朝廷の承認を得て、地方の国ごとに守護、荘園や公領には地頭を置いたのもこの年。 |