日韓基本条約とは
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日韓基本条約とは1965年に日本の佐藤栄作首相と韓国の朴正煕(バク・チョンヒ)大統領との間で締結せれた条約です。この条約によって日本は韓国に対して経済援助を行うことが約束されました。
まぁ、韓国としては「賠償」を請求していたんですけど、日本はこれを拒否!「じゃ、経済援助ならどうなの?」とアメリカが仲介して条約を締結させたんです。
この年に日本と韓国は国交を樹立させるのですが、しかし、なぜこの時期に・・・?
1965年といえばアメリカがベトナム戦争において直接軍事介入した年ですね。そうなると在韓米軍もベトナムに派遣されることになるんです。しかし、韓国には北朝鮮の脅威があるのでちょっと心配・・・。
「それなら日本に韓国の支援をさせましょう。」ということになったんですね。
さらにいえば、日韓基本条約が結ばれるちょっと前。1961年に朴正煕大統領が軍事クーデターで政権を握っています。朴正煕大統領にしても韓国の近代化のためには日本からの資金援助が必要不可欠と考えたんですね。さらに、万が一、再び朝鮮戦争が始まった場合にも日本との関係をよくしておいた方がいいという考えもあったようです。
さて、この日韓基本条約により韓国は日本から3億ドルのお金が援助されます。さらに2億ドルが有償援助。つまり、2億ドルは低い金利でお金を貸しますよという意味。また、民間企業からも3億ドルの資金協力がなされます。
当時の韓国の国家予算が3.5億ドルですのでどれだけ多くのお金が援助されたかわかりますね。
ですが、この日韓基本条約はかなりあいまいな形となります。
まず、日本から韓国に渡ったお金ですが、先に述べたように日本としては「経済援助」として渡されます。しかし、韓国の受け取り方としては「賠償」として国民に政府は説明しました。
また、日韓基本条約は、日本語と韓国語、英語と三カ国語で文章が作成されます。それぞれの条文の翻訳と解釈はそれぞれの国に任せるっていうんです。もし、解釈に問題があれば、その時は英文に基づくというあいまいさ!ですから、双方で都合のいい解釈がなされるんですね。
たとえば、旧条約及び協定の効力のところで「1910年8月22日以前に大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。」とあります。「もはや無効であることが確認される?」なんだか回りくどい表現ですね。
すべての条約及び協定とは、韓国併合条約など日本が敗戦するまでに結ばれた条約を意味しているのですが、日本としては「もはや」つまり、今となっては無効であるという解釈にとれます。しかし、韓国側では「韓国併合条約自体がもともと国際法に反する無効なものですので、そもそも無効であったものを確認しました」という認識です。
韓国併合条約、まぁ、日本の朝鮮統治がそもそも不法であるという韓国の認識と朝鮮統治自体は不法でないけど今となっては無効という認識にもとれる日本の表現。この一部分のみでもかなり曖昧であり、双方にとって都合のいい解釈ができるようになっているのがわかります。
日韓基本条約では、相互の貿易の回復、民間航空路の開設、日韓併合条約が無効であることの確認、朝鮮にて韓国政府が唯一の合法政府であるとの確認が行われました。竹島については、棚上げです。
そして、日本から韓国へ送られた資金と引き換えに韓国は対日請求権を放棄します。しかし、実際には、その送られたお金のほとんどは韓国の発展のため、ダムや道路などのインフラに使われ戦争被害者への賠償にあてがわれたものはわずかでした。また、日本としても条約の調印にあたり、朝鮮半島支配に関する謝罪の言葉はほとんどありませんでした。
当時は、すでに復興が進んでいた日本。日本優位の立場で条約が結ばれたことやあいまいな点も多くあったことから現在でもさまざまな日韓関係に影を落としています。
法律的には「日韓基本条約」により日本の補償問題は解決済みということになるわけですが、当時の韓国の立場や日本の謝罪の有無など日本にも反省すべき点は多くあり、現在では日本政府は比較的柔軟な対応を見せています。
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