西フランク王国(フランス)
|
西フランク王国は、フランスのご先祖様ですね。
フランク王国が分裂し3つの国(東フランク王国、西フランク王国、イタリア)に分かれたわけですけど、そのきっかけにもなったシャルルの国です。詳しくは、フランク王国の分裂を参照。
この西フランクでは、10世紀末にカロリング家の血筋が断絶してしまいます。カロリング家は751年からのフランク王国。また、そのフランク王国が分裂してできた3つの国の王を輩出した家柄ですね。
王位の継承者が途絶えてしまったってことです。当時は、3人に2人くらいの割合で乳幼児が亡くなっちゃうという時代ですから、こういうこともあるわけです。
そして、その後、他の諸侯に推されて国王になるのがパリ付近の大領主(パリ伯)のユーグ=カペーでした。987年のことです。
この頃の国王っていうのは、絶対的権力があって君臨するといったイメージとちょっと違います。
戦争になった時に頼れる存在。それが、国王であり、国王の大きな役割のひとつだったんです。だから、ノルマン人撃退などで活躍していたユーグ=カペーが国王に選ばれたんですね。
ユーグ=カペーは在位中に息子を後継者に指名し、以後カペー家が王位を世襲することになります。これによりカペー朝の始まりとなり、以降、西フランクはフランス王国と呼ばれるようになりました。
>中フランク王国(イタリア)
>東フランク王国(ドイツ)
|
|
|
|