歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記本能寺の変>信長の遺体

本能寺の変の後の信長の遺体


 織田信長が本能寺の変で自害したのは有名な話ですね。しかし、その遺体はどこにいってしまったのでしょうか?

 当初、織田信長を裏切ったとされる明智光秀は信長の亡骸を三条河原あたりにさらし「悪逆非道な信長を討ちとった!」と自身の正当性をアピールするため、家臣らに信長の遺体を探させたといいます。しかし、見つからず・・・。

 どうやら、燃えさかる炎と貯蔵されていた火薬に炎が引火し信長の遺体はすべて灰となってしまったようです。



 しかし、静岡県の富士郡芝川町の西山本門寺というお寺には信長首塚と呼ばれる塚が残っています。
 この寺には推定樹齢500年といわれる大きな柊の木が植えられており、その案内板には”この大柊は、天正10年6月2日、京都本能寺の変で討死した信長の首を、囲碁の名人と言われた本因坊日海の指示により原志摩守宗安が信長と共に自刃した父胤重と兄孫八郎清安の首と共に炎上する本能寺より持ち出し信長の首を、ここ駿河の当山に納め首塚を築き柊を植えたものであります。108代後水尾天皇の御息女・常子内親王の厚い御帰依を得られた当山中興の祖、18代日順上人は原家の御出身であられ御自筆の内過去帳に本因坊日海、織田信長の法号を記し手厚く御回向されておりました。”と書かれております。

 つまり、信長の首をひそかに持ち去り駿河の寺にて納めた後、柊の木を植えたということですね。本能寺の変が1582年ですので樹齢500年の柊の木は計算上あってますね。

 ここに納められているのが本当に信長の首であるのかどうか?それは定かではありませんが、信長の遺体が見つからなかったことは、信長がまだ生きているのではないか?と多くの人に不安や期待を持たせたことでしょう。死してなお、影響力を残した信長はさすがですね。