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沖縄の歴史


 琉球(沖縄)で国家建設が始まったのは、12世紀ころからと言われています。その頃には、大陸から穀物栽培や鉄器文化がもたらされて琉球でも稲作や畑作などが行われるようになります。各地には「按司(あじ)」と呼ばれる首長が現れ、「グスク」といわれる城砦をつくり争いが繰り広げられていました。

 この時代を「
グスク時代」といいます。

 14世紀になると按司を束ねて3つの勢力に纏まることとなります。北山、中山、南山でこの時代を
三山時代といいます。


出典:Wikipedia

 当時、この中の中山では、国王の察度(さっと)が中国の明に朝貢を求められ応じています。その後、北山、南山でも同じようにして貢物を送り、共に冊封を受けます。

 冊封とうのは、聞きなれない言葉かと思いますが、まぁ、明から「君たち、おみあげくれたから、その地域の王様って認めてあげるねっ」ってことですね。

 そして、この三山時代を統一したのが、尚思紹(しょうししょう)・尚巴志(しょうはし)親子です。

 尚思紹は中山を攻撃し中山王となると、その後、首里を本拠地とします。その後、尚巴志が1416年に北山を1429年には南山を滅ぼし統一。
琉球王国が成立します。

 ただし、完全な天下統一って感じではありません。まだ、按司どうしの対立は続き、やがて1469年に7代国王が亡くなると金丸という貿易の責任者がクーデターを起こし、王位を奪われてしまいます。そして、金丸は尚円(しょうえん)と名乗り、子の尚真(しょうしん)の時代には、琉球黄金時代を迎えます。

 この琉球王国の黄金時代を支えたのが
中継貿易です。琉球王国は、中継貿易で栄えていたんですね。

 東南アジアの国々から蘇木という漢方の材料や胡椒や香料といったものをに送り、明からは銅銭や陶磁器、生糸などが送られてきました。

 こんなの明が直接、東南アジアの国々とやりとりすればいいように思えますけどね。なんで、琉球を間に挟んだんでしょう?

 当時の明は、海賊や密貿易などを禁止するために中国人商人の海外渡航を禁止していたんですね。まぁ、これで海賊やら密貿易は減るわけですが、かわりに海外の産品を入手することが難しくなってしまっていたんです。そこで、海上の要所に位置する琉球が目にとまったという訳です。明は、琉球に大型船まで与えて、中継貿易を支援しました。

 ですが、そんなおいしい時代も長くは続きませんでした。

 明が北からモンゴル族に攻撃され、万里の長城の修復などに力を奪われていると、今度は南が手薄に・・・。

 そうなってくると、好き放題やりだす輩が出てくるんですね。ベトナムとかフィリピンとかに出向いて勝手に貿易をしてしまう私貿易が盛んになります。

 さらに、これにポルトガルが絡んできます。ポルトガルは1510年にインドのゴアを占領して、翌年にはマラッカ王国を滅ぼし貿易の拠点とすると中国人密貿易商人と結びついてがっぽり儲けようと企てるんですね。

 日本に鉄砲が伝来するのもこの頃ですね。1543年、種子島にポルトガル人が漂流して鉄砲が伝わるんですが、この時、ポルトガル人が乗っていたのは、中国人倭寇の船です。密貿易船に乗ったポルトガル人によって鉄砲が伝わったんですね。

 このように琉球の中継貿易の優位性が失われていき、明との関係が薄らいでいく中、琉球に目をつけたのが日本だったわけです。

 豊臣秀吉が朝鮮に侵攻する際には兵糧米の負担を求められたりしていますし、1609年には島津家久に軍を送られ首里は占領されてしまいます。

 江戸時代には、琉球王がかわるごとに使者が将軍に挨拶に向かい(謝恩使)、将軍がかわるごとにも使者(慶賀使)が遣わされています。

 ただし、中国との関係も、この時点では維持されています。日本と中国の両属の関係だったわけです。

 そんな中、19世紀に入ると欧米諸国が次々とアジアへ進出してくるようになります。日本でも鎖国体制は崩れ明治に入ります。

 そして、大きな事件が起こるのです。1871年に琉球の島民66人が台湾に漂着するのですが、その中の54人が台湾の住民によって殺害されてしまいます。

 この事件が起こった時点では、琉球は半独立国として日本と清の両国に属していた状態。

 この責任を日本は清に問いますが、清は台湾を「化外の民」、つまり、国家統治の及ばない人々であるとして責任を回避。

 それではと、日本は台湾に軍を送り込みます。これが
台湾出兵です。1874年。

 清は、日本軍の行動を承認した為、琉球民は日本人ということとなり、琉球の日本帰属が国際的に認められることとなります。

 清は、そんなつもりではなかったんでようけどね。この衝突は、近代国民国家の観念をまだ理解していなかった清と、すでに国民国家の国境概念を身につけていた日本との意識の差をあらわす事件となったわけです。

 その後、1879年には琉球処分、琉球に沖縄県を置いて日本領土となりました。

 ですが、清はこれを認めてはおらず、日清戦争の後に正式に沖縄の日本帰属を清も認めることとなります。