大塩平八郎の乱
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1833年、東北地方の異常気象を皮切りに、連年飢饉が続くようになります。そして、1836年には天保の大飢饉が起き、極端な米不足のため餓死者が相次ぎました。
そんな中、1837年、米を大阪から江戸に送ろうとする幕府に業を煮やして立ち上がったのが大塩平八郎(おおしお へいはちろう)でした。
かねてから、町奉行や豪商などに飢饉にあえぐ民衆を救うよう働きかけていた大塩平八郎。彼は、大阪奉行の与力、つまり幕府の役人であったわけです。その幕府の役人による乱です。そんなものは、前代見聞であり、幕府を震撼させます。
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大塩平八郎は、役人であるとともに陽明学者でもありましたので、その門下生や豪農、さらには農民たちとともに、豪商を焼き討ちし、奪った米や金を民衆に分け与えていきます。。
しかし、事前に密告もあり、事件はわずか半日で終結。
一見小さな乱のようにも思えますが、幕府側の人間による乱は当時の幕府に衝撃を与え、後の世にも深い影響を残すことになるのです。
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