ポエニ戦争
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ポエニ戦争とは西地中海をめぐるローマVSカルタゴの争いです。始まった年はBC264年で終わったのがBC146年。「風呂敷(264)ひっくり返してポエニ戦争」とでも覚えておけばいいでしょう。264の下2ケタをひっくり返して100引けば終わった年になります。100引くのだけは忘れないでね。
とはいえ、このポエニ戦争、こんな長い間、戦い続けたわけではありません。決戦は3回です。
では、まず、第1回戦から見てみましょう。
ポエニ戦争 第1回
最初の戦争はBC264年。この第一回目のポエニ戦争の原因は、シチリア島という島の東北部で争いが起きたんです。シチリア島っていうのは、ブーツ(イタリア半島)のつま先部分にある島ですね。そこで当時幅を利かせていたのが傭兵部隊「マルティニ」。このマルティニをヒエロン2世という王様が追い出そうとしたんですね。それで争いとなったわけです。
そこでマルティニは、ローマとカルタゴに援軍を求めるんですけど、この両方っていうのがまずかった。おっと、その前にガルタゴってどこじゃ?ってなりますね。場所は、ちょうどイタリア半島とは地中海を挟んで向かい側。アフリカ大陸の今はチュニジア共和国の領土になっている辺り。ローマは、イタリア半島だね。
つまり、シチリア半島は、まさにローマとカルタゴの領土の真ん中に位置する地中海の島だったわけです。
マルティニからの援軍要請を勢力拡大のチャンスと見たのか?或いは敵に勢力拡大されては困ると考えたのか?ローマとガルタゴは軍を派遣。しかし、ほどなくして争いの焦点はローマVSカルタゴへと変わっていきます。
この戦争は、20年ほど続きBC241年にローマが勝利。シチリア島はイタリア半島以外では初のローマの征服地となりました。
ポエニ戦争 第2回
2度目のポエニ戦争はBC218年。この時、カルタゴには英雄が登場します。その名も「ハンニバル」。映画好きの人は、どうしても「羊たちの沈黙」を思い出してしまいそう・・・。若い子はわからないかなぁ。
このハンニバルという人は、ものすごい行動力があったんです。スペインやポルトガルのあるイベリア半島という場所から出発して北イタリアに侵入!何がすごいって距離もすごいけど、途中にはピレネー山脈もあればアルプス山脈もある。そんな陸路を軍隊引き連れてローマに殴りこみに来ちゃったからローマもビックリ!これがBC216年のカンネーの戦い。これでローマは大打撃を受けます。
しかし、ローマにも英雄が登場!この人は「大スキピオ」。変な名前ですね。まぁ、本名はプブリウス=コルネリウス=スキピオ=アフリカヌス=マイヨルっていうんだけど、長いですよねぇ。そこで、後世につけられた名前が大スキピオ。大とか小とか同名の人を区別する場合につけられることがあるんです。
この人は、やばい状態の本国イタリア半島をほったらかして、カルタゴに攻め込んでいきます。サッカーでいうところのカウンター攻撃ですね。もう、一か八か攻めるんです。
慌てたハンニバルは急いで本国に帰るんですが、大スキピオの軍にやっつけられます。これが、ザマの戦いです。
この戦いでローマは西地中海の覇権を握り今のスペインなどを領土としました。
ポエニ戦争 第3回
3回目のポエニ戦争はBC149年。大スキピオの長男の養子の小スキピオがカルタゴに攻め入りカルタゴを廃墟にします。こうして、ポエニ戦争はローマの勝利で幕を閉じ西地中海はローマの支配下に入るのでした。
<古代ローマ イタリア半島統一
>マケドニア戦争
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