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プーチン


 
 プーチン大統領といえば、サンボや柔道で鍛え上げたマッチョな体、強い男のイメージが強いといった人も多いのではないでしょうか?それもそのはず、プーチン大統領は、ソ連のスパイ組織であるKGBの出身ですからね。

 また、一度は大統領の席から離れたはずなのに「あれ?また、ロシアの大統領がプーチンに戻ってる・・・。プーチンってロシアで人気あるんだなぁ」と感じた人もいるでしょう。

 では、今回はプーチン大統領について学んでいってみましょう。


出典:Kremlin.ru

 プーチンが生まれたのは、1952年10月7日。場所は、ロシアのレニングラードです。レニングラードといえば、第二次世界大戦でドイツとソ連が激突し100万以上の市民が亡くなったといわれている場所です。映画がテレビの特集なので見たこともある人も多いでしょう。

 プーチンが生まれたのは戦後11年経ってからですが、おそらくは幼き頃から当時の悲惨な街の様子は耳にしてきたことでしょう。

 さて、プーチンがKGBに興味を抱いたのは、スパイが主役のテレビ番組であったといわれています。私たちが幼き頃、ヒーローアニメの主人公に憧れたのと同じですね。

 そして、プーチンは16歳の時にKGBのレニングラード支部を訪ねています。ここで対応した職員はとても親切でKGBは、自ら志願してやってくる者を採用したりはしないし、大学を出るか軍隊に入るかしたほうがKGBで採用される確率は高くなるということをプーチンに伝えました。

 プーチンは、その男の助言を素直に受け入れレニングラード大学法学部に入学。そして、4年生になったころ正式にKGBから誘いを受け、大学卒業後にKGBへ正式に就職することとなります。

 最初に配属されたのは、レニングラード支部。しかし、その後、モスクワで研修を受けると1985年には東ドイツのドレスデンに配属されることになりました。東ドイツは当時、ソ連の占領地域でした。そこでドレスデン工科大学の外国人学生を監視したり、外国人の学生をスカウトしたりすることを主な仕事としていたようです。

 しかし、プーチンがドレスデンに配属されてから4年後にベルリンの壁の崩壊という大きな出来事が起こります。東ドイツ市民が西ドイツへ亡命することを防ぐため東ドイツによってつくられた壁だったわけですが、不満を募らせた市民たちの手によってその壁が壊されてしまうんですね。その翌年に西ドイツに領土を編入されるかたちで東ドイツは消滅します。

 そして、ドイツが統一されたことにより、プーチンが配属されていたドレスデン支部は事実上機能を失います。その為、プーチンは再びレニングラード支部に戻ることになりました。

 ちょうど、この頃にかつてプーチンがまだ大学生だった頃に教えを受けていたアナトリー・サプチャック教授と親しくするようになっていきます。このサプチャックという人は、当時改革派として有名になっており、このことがプーチンが政界に進出するきっかけになっていくのです。

 1990年になるとプーチンはKGBに辞表を提出します。1991年にサプチャックがレニングラードの市長に当選するとプーチンは翌年副市長に任命されます。KGBを離れ、政界に興味が移ってきたのでしょうね。

 ですが、1996年にサプチャックは市長選で敗北してしまいます。それと同時にプーチンも辞職。プーチンの副市長としての働きっぷりは素晴らしかったようで多くの人に止められたそうですが、この辺は頑固ですね。サプチャックと同時にきっぱり辞職です。

 しかし、その後、大統領府総務局次長に就任。1997年にはロシア大統領府副長官兼監督総局長に就任します。

 そして、1998年にFSB、ロシア連邦保安庁の長官に就任します。

 FSBとは、国内専門のスパイ機関です。アメリカのFBIみたいなものですね。ちなみにアメリカのCIAみたいなのはSVRという組織でこちらは国外で情報を集めるスパイ組織です。この頃には国内外ともにスパイ活動を行うKGBがFSBとSVRという二つの組織に別れていたんです。

 プーチンは国内のスパイ組織のトップとして就任したんですね。そして、当時の大統領はエリツィン。このエリツィンをプーチンはあらゆる手段を使い守り抜くんです。まぁ、ロシアの大統領ともなれば敵も多いんでしょうね。大統領の座から引きずり降ろしてやろうとたくらむ人たちがいっぱいな訳です。

 エリツィンに汚職の捜査が向かうとそれを指揮していた人物を逆にスキャンダルで追い払う・・・。

 スパイ出身なだけにプーチンはやり方も容赦なしです。

 このようなことからエリツィンから信頼を勝ち取ったプーチンは1999年8月に第一副首相に就任。そして、その日のうちに首相が解任されたのでプーチンは首相代行となります。さらに一週間後には正式に首相となるのでした。

 そして、1999年12月にエリツィンが健康上の問題で引退するとプーチンはついに大統領代行となり、2000年3月に大統領選で当選を決めるのでした。

 スパイに憧れた青年はKGBというスパイ組織を経てついには大統領にまで上り詰めたわけです。

 その後、2004年の2期目の大統領選でも圧勝。まぁ、この辺までは、人気のある大統領ってところですね。しかし、プーチンがすごいのが、この後なんです。

 2007年に任期満了でプーチンは退任。そして、プーチンが去った後に大統領になる人がメドベージェフという人なんですが、この人はプーチンが大統領だった時の第一副首相だった人。メドベージェフは自分が大統領になったらプーチンを首相にして、プーチン路線を引き継ぐという約束をして大統領選に勝利していたんですね。メドベージェフはプーチンと同郷の後輩。つまり、プーチンが裏で操るにはうってつけの人物ってことですね。

 メドベージェフ時代に大統領任期は4年から6年に変更され、2012年の大統領選ではプーチンが再び立候補し当選しました。

 ロシアの憲法では大統領の連続3期の続投は認められていないのですが、いったん首相になり、再び大統領になるとはものすごい力技ですね。さらに任期自体を4年から6年に変えさせるといった強引な手法をも用いて長期政権を続けているプーチン。今後、プーチンは巨大な国土をもったロシアをどのように導いていくのでしょうか?