レーニンの死と党内闘争
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1922年、ロシア革命にて政府の打倒に成功した革命家レーニンは倒れ、その2年後に亡くなります。(享年74歳)
レーニンは脳梗塞で倒れてからは話もろくにできない状態となり、毒薬で自殺を考えたこともあるようです。
ちなみに、このレーニンの遺体は今でも保存処理されてモスクワの赤の広場にあるレーニン廟に残されています。ヒゲなども残っており、まるど眠っているようです。
このレーニンが倒れた後は共産党内での後継者争いが激化していきます。
スターリンVSトロッキーです。
トロッキーはロシア革命時の英雄ですね。このトロッキーをスターリンは追い出します。
1929年にソ連から追い出されたトロッキーは1940年にメキシコで暗殺されてしまいました。
ところでソ連時代の最高権力者は書記ですね。他の国々でも共産党のトップといえば書記。なんで書記長が一番偉いの??
それは、1922年に新設された書記長のポストにスターリンが就いたことによります。当時書記長だったスターリンが最高権力者になったので書記長が共産党のトップを示す役職となったのですね。書記が偉いというより、書記長だったスターリンがトップにたったので自動的に書記長がトップの役職となったといった方がいいでしょう。
このスターリンは、その後も敵とみなした人々を次々と処刑していきます。シベリアの強制収容所に送り強制労働させたり、何十万、何百万人単位の死亡者をだしたり・・・。これは1930年代にピークに達します。このスターリンの行った行動を「大粛清(だいしゅくせい)」といいます。
<ソ連の成立
>独ソ不可侵条約
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