ルイ14世
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ルイ14世は1643年に即位。死去したのが1715年ですから、実に72年間もの間、国王として君臨しています。しかし、まぁ、即位したのは、ルイ14世が4歳の時。ですから、初めのうちは、マザランという宰相が政治を動かすことになります。
ですが、そのマザランも1661年に亡くなり、その後はルイ14世が親政、つまり国王が自ら政治を行うようになります。その間、フランスは絶頂期を向かえ、ヨーロッパ第一の強国となり、文化的にも黄金時代を迎えるのです。そして、彼は「太陽王」と呼ばれるようになります。
このルイ14世を助けたのが財務総監として活躍したコルベールという人。この人は市民出身の人です。彼は、軍政以外、農業、植民、通商、工業などほぼすべての内政にたずさわります。
コンベールが提唱したのは重商主義。まぁ、商業を重視するってことですね。むかしは、農業の収穫物が財政の要だったわけですけど、これからは貿易や商業が重要だねって考えたんです。そして、特権マニュファクチュアを創設します。王立マニュファクチュアともいいますね。このマニュファクチュアとは、工業制手工業のこと。辞書などでも、そう書いてあると思います。でも工業制手工業が意味わかんないですよね。簡単にいってしまえば、それまでは手作業で熟練の人たちが必死に物を作っていたわけですが、これからは工場で大勢の人たちで効率よく作りましょうよ。ってことです。このマニュファクチュア自体はイギリスが発祥でしたが、コンベールはそれを自然の流れに任せるでなく、輸出で儲かりそうな物に特化して大きな保護を与えたんです。毛織物や武器やガラス工芸なんかですね。
こうして、コンベールらの努力により経済的繁栄は進み、ルイ14世はそのお金で豪華なお城を建てたりしてしまいます。
「朕は国家なり!」と有名な言葉を残すほどの自信家ですからね。超豪華なお城を造っちゃうんですね。それがヴェルサイユ宮殿。写真でしか見たことありませんけど、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間なんてもう、巨大な芸術品ですからね。後に第一次世界大戦の講和条約が結ばれたのも、この鏡の間ですね。
そして、ルイ14世はやってはいけないこともやってしまう。それが、ナントの勅令の廃止。ナントの勅令っていうのは、旧教と新教の対立を抑えるためにアンリ4世(在位1589〜1610年)がカルヴァン派にカトリックと同様の権利を認めた勅令のことです。これを廃止してカトリックによる統一を図ってしまうんです。これによってユグノーと呼ばれるカルヴァン派は国外に亡命してしまいます。
なぜ、これがいけないことだったのか?国を支えてきた商人の多くがユグノーと呼ばれるカルヴァン派の人たちだったんです。その人たちが皆イギリスやオランダに亡命していちゃったんです。ですから、イギリスやオランダが逆に商工業の発展を遂げることになります。
そして、もうひとつルイ14世は失敗をおかしてしまいます。それが、侵略戦争。ルイ14世の考えは、「国境ってもんは、人が勝手に引いた線で決めるべきではなく、川や山、海などに沿った形で線引きされるべきだ」というもの。まぁ、私たち日本も海でがっちり囲まれていますからね。なんとなく、この考えには賛成してしまいますけどね。
そうして、ルイ14世は侵略戦争に乗りだします。まずは、1667年の南ネーデルラント継承戦争。南ネーデルラントは現在のベルギーです。当時、この場所はスペイン領でした。この戦争では、フランスの強大化を恐れるイギリスやオランダがスペインを支援。結果、ベルギーを獲得することはできませんでした。
次にルイ1世が侵略を試みたのがオランダ。1672年から1678年まで続きます。南ネーデルラント継承戦争では、オランダに邪魔されていますからね。恨みがあったわけです。一時は、オランダのほぼすべてを手中におさめるまで攻め込みますが、結局はネーデルラントの一部を手に入れるにとどまりました。
3度目は、ファルツ継承戦争。1688年から9年間続きます。きっかけは、ファルツというドイツの南西部の地域をおさめていたファルツ選帝候が亡くなったこと。彼には跡継ぎがいなかったんです。そこで、遠い親戚にあたるファルツ・ノイブルク公が跡を継ぐことになったのですが、ルイ14世は、「私の弟のオルレアンの妃は亡くなったファルツの妹であるから、こちらの方が血筋的には継承にふさわしいのではないか!」と訴えるんですね。
これにドイツ諸侯やオーストリアのハプスブルク家、スペイン、オランダは同盟を結成して対抗しました。その後、イギリスやスウェーデンも同盟側を支持。結果、フランスは講和条約によってわずかな領土を得ることしかできず、ファルツの継承にも失敗します。
そして最後がスペイン継承戦争です。1701年から始まります。これは、ルイ14世の孫がフェリペ5世としてスペイン王国に即位したことに対してイギリスやハプスブルク家が反発して起きた戦争です。まぁ、フランスとスペインが合同すれば巨大な国が出来てしまいますからね。ヨーロッパの各国がそれを認めることができないのも無理がありません。ですが、オーストリアのハプスブルク家が力をつけるのも困る。ということで、この戦争は各国の思惑が入り乱れ複雑化していきます。
一応は、フランス・スペインVSオーストリア・オランダ・イギリスの構図。しかし、神聖ローマ帝国なども別で参戦してきます。この戦争も1713年にユトレヒト条約が結ばれフェリペ5世は結局スペイン国王として即位することになります。ですが、フランスとスペインは国家として統合してはダメという条件付き。イギリスは、スペイン国王としてフェリペ5世を認めてあげる代わりに新大陸の広大な領土(北アメリカのアカディアやニューファンドランド島など)を獲得します。もう、王位は獲得したけど、内容としてはイギリスの1人勝ちです。
このように得るものの少ない戦争を繰り返したフランス。ルイ14世が亡くなると跡を継ぐのがルイ14世のひ孫であるルイ15世。
ルイ14世の時代が豪壮なバロック様式が流行したのに対して、ルイ15世の時代にはもっと繊細なロココ様式が流行します。
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