劉備、呂布に徐州を奪われる
|
194年、劉備は陶謙から徐州を譲り受けることになります。徐州は、当時、曹操に攻撃されていたため、陶謙の息子では守り切れないと判断。陶謙は劉備に徐州を託したのです。
しかし、徐州を攻撃していた曹操。その曹操の本拠地が呂布によって奪われそうになっていまいます。曹操は慌てて呂布を攻撃!見事、撃退してみせたのです。
そして、その呂布が頼ってやってきたのが劉備のいる徐州でした。
196年、寿春の袁術が徐州に攻撃を仕掛けています。
劉備は、張飛を残し袁術軍と戦うために出兵を決意するのでした。しかし、飢饉により兵糧が十分に確保できず、劉備軍は苦戦・・・。
そんな時に張飛がなぜか劉備のもとにやってきます。
「城を呂布に奪われた!」
マジっすか!とあきれることも怒ることもせず劉備は張飛の話を聞きます。
(呂布:清の時代の版画)
三国志演義によれば、城の留守を任された張飛。しかし、酒の誘惑に負け思い切り酔うほどに酒を飲んでしまいます。そして、些細な口論から曹豹(もとは陶謙のもとにいた武将で陶謙亡き後、劉備に仕えていた)を鞭で50回も叩き、曹豹はその怒りから裏切り、呂布を城の中に入れてしまったと書かれています。
袁術軍と戦いながら呂布と戦うのは無理がある・・・。劉備は、徐州にもどると呂布に降伏します。そして、呂布はみずから徐州刺史を名乗るのでした。(後漢書によれば、呂布は袁術の依頼によって徐州を攻めたとされています)
これにより劉備は徐州の僻地である小沛に追いやられてしまうのでした。
その後、袁術は再び劉備を責めます。劉備は、呂布に援軍を要請。しかし、呂布は徐州の支配権を得てから袁術に武器やら兵糧やらをたんまり提供してもらっている・・・。とはいえ、袁術は劉備の小沛を奪い、その後、徐州全域を狙う可能性もある・・・。
そこで呂布は二人の仲裁に入るのでした。
劉備を攻め立てている袁術の配下の紀霊の陣を訪ねると呂布は門番に1本の戟という槍のような武器をかかげさせます。
「この戟の小枝の部分を弓で射当てたら兵を引いてはくれぬか?」
百歩離れた場所から弓を引いたといいますのでかなり遠くから戟をめがけて弓を引いたようです。
呂布の常人離れした弓の腕に皆が驚き、両軍ともに約束通り兵を引き上げるのでした。
しかし、その後、張飛が呂布の馬を百頭ほど盗み出し、報復を恐れた劉備は小沛を脱出。曹操のところへ向かうのでした・・・。
<曹操VS呂布
>下邳の戦い
|
|
|
|