斎藤道三は油売りから成り上がった訳ではない!
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斎藤道三といえば、油売り商人から美濃一国の主にまで成り上がった戦国武将というのが有名ですが、最近の研究からどうもそうではないのでは?という疑問が持ち上がってきています。
では、まず今まで通説とされてきた斎藤道三の経歴を見てみましょう。
斎藤道三は、11歳で京都の妙覚寺(みょうかくじ)に入り、法蓮坊と呼ばれていました。やがて、道三は寺を出て、京都の油売り商人の娘婿となります。そして、商人として諸国を旅しているところに妙覚寺時代の弟弟子と出会い、それが縁で美濃に仕官すると、次々に主人を謀殺し、のし上がって行ったといわれていました。
しかし、近年になり、近江の六角義賢が家臣に宛てた手紙の内容から、どうも妙覚寺の小坊主から油売り商人、美濃へ仕官というところまでは道三の父の話であり、父の後を継ぎ、美濃の国を乗っ取ったのが斎藤道三。つまりは、有名な斎藤道三の国盗り物語は、親子2代で成し遂げたという可能性が出てきております。
今までの1代で成り上がった斎藤道三の元となっているのは江戸時代の軍記物といわれる書物。六角義賢の手紙は道三の死後およそ4年目に書かれた物だと分かっていますから、手紙の内容の方が信憑性が高いだろうという訳です。
また、他の史料でも斎藤道三の父の名が記されている史料なども見つかっており、現在では、親子2代での国盗り物語が有力となっているようです。
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