桜田門外の変
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桜田門外の変(さくらだもんがいのへん)とは、1860年、江戸城桜田門の近くで元水戸藩士らに井伊直弼(いいなおすけ)が暗殺されてしまう事件です。では、この桜田門外の変について少し詳しく見てみましょう。
朝廷の許可も得ぬまま、不平等条約とされた日米修好通商条約を結び、また安政の大獄にて反対派の人々を次々に処罰していった井伊直弼。彼のあまりのやり方に不満を持つ人は多くいました。
そして、1860年、ついに江戸城桜田門の近くで元水戸藩士(迷惑がかからないように藩をやめてから行動にでたので元水戸藩士なのですね)によって、井伊直弼は暗殺されてしまうのです。
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1860年3月3日の朝。もう春だというのに雪に見舞われていた江戸。井伊直弼らは彦根藩邸を出発し、江戸城へ向かっていました。一行役60名を引き連れていた井伊直弼。彼らが桜田門外に差しかかった時、銃声を耳にします。驚いた彼らが辺りを見回すと、さきほどの銃声の音を合図とし総勢16名の脱藩した水戸浪士らが刀を振りかざし襲い掛かってきておりました。
護衛の武士達も刀を抜き応戦しますが、雪の為に身につけていた雨合羽や刀を覆った柄袋に動きを封じられ上手く戦うことができない。
そうしている内に井伊直弼は弾丸を腰にうけてしまい、駕籠にのったままもがいている所を首をはねられてしまいます。
この大老 井伊直弼暗殺の桜田門外の変以降、幕府の力にかげりが見えてくるようになるのです。
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