サラエボ事件
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サラエボ事件とは、1914年6月28日。場所は、ボスニア州の首都サラエボで起きた事件です。このサラエボ事件が原因となり第一次世界大戦が始まるわけですが、サラエボ事件について少し詳しく見てみましょう。
この事件は、セルビアの青年がオーストリア皇太子夫妻を暗殺した事件です。では、なぜセルビアの青年がオーストリア皇太子を暗殺しようと考えたのか?
セルビアとは現在ではユーゴスラビアの一部ですが、中世の時代ではバルカン半島の大国でした。ところが、14世紀末にオスマン=トルコに滅ぼされてしまいます。その後、1878年にようやく独立を果たすことが出来たわけですが、彼らの願いは昔のような大セルビア王国を復活させるため、ボスニアとヘルツェゴビナを併合することでした。しか〜し、狙っていたボスニア、ヘルツェゴニナをオーストリアが併合してしまう。これにより、セルビアの希望は絶たれてしまったのです。
これに怒ったセルビアの人々。その中でもセルビア軍の青年将校たちは秘密結社をつくり、反オーストリア運動を行っていたのです。
こうした時代背景の中、オーストリア皇太子がボスニア州サラエボの町にやってきます。オーストリア皇太子の訪問ということで通りは群衆で溢れかえっていたそうですが、その中から1人の青年が飛び出し、皇太子夫妻の乗る車めがけて爆弾を投げつけてきました。
車は、なんとか爆弾を避け無事だったものの、後続車は大破!民衆にも大怪我する人が多数。
犯人は19歳のセルビアのカプリノビッチという青年でした。
オーストリア皇太子は、怒り狂ったものの市庁での会には出席。その後、負傷者の見舞いに行くといって再び先ほど来た道を車で戻ります。予定では、先ほど来た道を戻るコース。しかし、運転手があやまって来た道を途中で右折しようとします。
「違うぞ。そっちじゃない。」
車に同乗していたボスニア総督がそう正すと運転手は、急いでブレーキを踏み、曲がりかけていた車を戻そうとしますが・・・。その時、一発の銃声が響き渡りました。続けてもう一発!運転手が慌てて後部座席に振り返ると、そこにはオーストリア皇太子夫妻が折り重なるようにして倒れていました。
犯人は、やはりセルビアの青年で19歳のガブリロ=プリンツィープ。青年は、持っていた拳銃で自殺を試みますが、取り押さえられ失敗に終わります。
青年は、その4年後に監獄の中で肺結核の為、亡くなりますが、まさか自分の放った2発の弾によって世界大戦にいたるとは考えてもみなかったことでしょう。
この事件の後、オーストリアはセルビアに宣戦し、ヨーロッパ各国も各々の思惑を胸に参戦していくこととなります。
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