歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記薩長同盟
   

薩長同盟


 薩長同盟とは慶応2(1866)年1月21日に薩摩藩家老・小松帯刀邸にて、それまで敵対していて薩摩藩と長州藩が政治的、軍事的に強力を約束しあった同盟です。

 



 
上の写真は、桂小五郎が文章化した薩長同盟。当初、桂小五郎と西郷隆盛との間で交わされた薩長同盟は口約束でしたが、翌日、桂小五郎が文章化したものが上の文章です。

 薩長同盟の立会人となった坂本龍馬がこの薩長同盟の内容を保障する裏書きをしていますが、それが薄く見える赤い文字です。

 
薩長同盟・6カ条の内容


一、戦いと相成り候時は直様二千余の兵を急速差登し只今在京の兵と合し、浪華へも千程は差置き、京坂両処を相固め候事

一、戦自然も我勝利と相成り候気鋒これ有り候とき、其節朝廷へ申上屹度尽力の次第これ有り候との事

一、万一負色にこれ有り候とも一年や半年に決て壊滅致し候と申事はこれ無き事に付、其間には必尽力の次第屹度これ有り候との事

一、是なりにて幕兵東帰せしときは屹度朝廷へ申上、直様冤罪は朝廷より御免に相成候都合に屹度尽力の事

一、兵士をも上国の上、橋会桑等も今の如き次第にて勿体なくも朝廷を擁し奉り、正義を抗み周旋尽力の道を相遮り候ときは、終に決戦に及び候外これ無きとの事

一、冤罪も御免の上は双方誠心を以て相合し皇国の御為皇威相暉き御回復に立至り候を目途に誠心を尽し屹度尽力仕まつる可しとの事


 
薩長同盟の内容(現代語訳)


 1.長州藩が幕府と戦争になったら、薩摩藩はすぐに2000ほどの兵を差し向かわせ、在京の兵と合し、大阪にも1000人ほどを配置して京都、大阪の両所を固める

 1.長州藩が勝利する戦況になった場合、朝廷に進言してかならず調停に力を尽くす

 1.万が一、長州藩が負けた場合でも1年や半年で壊滅するようなことはないだろうから、その間は必ず長州藩を助ける為に尽力する

 1.戦争が終わり幕府軍が東帰した場合には、薩摩は朝廷から長州藩の冤罪を免ずる運びになるよう力を尽くす

 1.一橋、会津、桑名などが兵力を増強し、朝廷を利用して薩摩の妨害に出るようなら、薩摩も決戦に及ぶ他ないものとする

 1.長州藩の冤罪御免しが得られたら、薩長双方は誠意を持ち力を合わせ、皇国のために力を尽くす。勝敗いずれの場合でも、国と天皇の威光の回復のために誠心誠意、力を尽くす




 まぁ、簡単にいってしまえば第二次長州征伐といって長州藩は幕府から兵を向けられることになっていたんですが、そうなった時に薩摩藩が全力で援護しますよ。と、約束をした内容ですね。

 この薩長同盟により長州藩は薩摩藩から力を借りて15万もの大軍で押し寄せる幕府軍を撃退することになります。