キリスト「聖骸布」の真偽
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聖骸布とはイエス・キリストが十字架で処刑された際に遺体を包み埋葬されたとされる縦4.36メートル、横1.1メートルの布です。この聖骸布には男性像がうっすらと浮き出ておりイエスの姿が映し出されているとも言われています。
しかし、一方でこの聖骸布には偽物ではないのか?という見解も出ており現在でも激しい論争が耐えません。
この聖骸布が初めて世間に姿を現したのは1353年。フランスのリレの教会でした。その後、1464年にはフランスのサヴォイ公爵家に渡り、1532年に保管していた教会が火事となって布の一部が燃えてしまいます。その後は補修がなされて現在はトリノ大聖堂にて保管されています。聖骸布には三角の布で補修された部分が残っていますが、それが火災で燃え落ちてしまった部分ですね。
この聖骸布は1898年にある発見がなされます。聖骸布を写真で撮影してみたところ、ネガで見るとはっきりとキリストの姿が映っているというのです。
確かにネガでみるとアゴヒゲをつけた顔や頭にいばらの冠のようなものをかぶっているのがわかりますね。
上の写真ではわかりづらいかも知れませんが額の部分に血の後も確認できます。また手首にも釘を打たれたような後が映し出されているといいます。
この聖骸布ですが、近代になり科学的な検証もなされるようになっていきます。
1978年の調査では、布に映し出された人物像を形作るシミのようなものは布のごく表面にしか浸み込んでいないことが判明。つまり、何かの塗料で塗ったようなら布の厚さ0.3ミリなので後ろまで浸み込んでいるはずなのでそういった類のもので描かれたものではないことがわかりました。さらに詳しく見てみるとシミのような部分は描かれるというよりも布自体が痛んで腐食したような状態になっていること明らかになります。
また、血痕を調査すると聖骸布の人物の血液型はAB型であり、手首や足には釘で打たれたような穴の傷が、胸や背中には鞭で打たれたような傷跡があり、さらには十字架で死んだ後に槍で突かれたあとなど細かい点も聖書に記されているイエスの処刑の状況と一致することが確認されます。
さらに布の膝のあたりにはエルサレムに多い土が付着していたこと、聖骸布には腐敗防止のための沈香などが使われていたことなどもわかりました。
さらにさらに、それより以前1973年の調査では、聖骸布には49種類の花粉が付いているがその内13種類は聖地エルサレムのある死海周辺にしか生えていない植物のものであることがわかっています。
う〜ん。これはもう本物ですね。
しか〜し!1988年になると炭素14年代測定法という科学的方法で布の年代測定が行われます。炭素14というのは、動物や植物の体内には炭素14という原子核6個、陽子8個からなる中性子が存在しているそうで死ぬのこれが一定量で減っていくそうです。これを測定してちょうど半分だったとすると5730年前に死んだものだと測定できるそうです。
これによると聖骸布の年代測定が1260〜1390年のものであることが判明します!
オーマイーゴット!偽物か!
でも、1300年前後に塗料を使うわけでもなく、白黒反転のネガになっている巧妙な偽物を誰が作ったっていうの?あっ、ひとりすんごい人物がいた!!!ということで、あの天才レオナルド・ダビンチにスポットが当てられます。これは「トリノ聖骸布の謎」という著者のリン・ピクネットとクライブ・プリンスとう人物が掲げた説です。
ダビンチが活躍する時代以前にすでに聖骸布は発見されていたわけですが、当時の聖骸布は不完全なものであり教会への礼拝者を増やす目的で教会がダビンチに依頼したといいます。ダビンチのノートにはすでに写真の原理を理解していたらしいデッサンや記述も見つかっていますからね。まぁ、ダビンチなら出来ちゃうんじゃないですかね。
と、思っているところにまた新たなる真実が!!!
聖骸布の年代測定法ですが、実はこれ布をちょっとだけ剥ぎ取って測定したのですが、そこって布を広げるときには必ず人が手で触ってしまう所。しかも、火災にあった時に燃えた訳だからススが大量に付着していたはずなので炭素14年代測定では正確に測れませんよ〜。まぁ、誤差を考えると3000年〜1300年前くらいのものじゃないですかね。という学説が1933年に発表されます。
また、2009年には聖骸布から「ナザレのイエス」や「処刑された」という文字が発見されたなどの発表もある反面、数年前に発見されたキリストと同年代に埋葬されたエルサレムにある墓の遺体を包んだ布には聖骸布と違った布の編み方がされたいたことから聖骸布はやはり当時のものではないのではないか?などの推測も飛び交っています。
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