戦国時代、遺体の処理はどうしていたのか?
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戦国時代は、基本的には戦場において、戦死者がでた場合は、上官がその遺体を回収し、費用は主家が負担し葬るというのが理想とされていました。
しかし、現実的に、そうすることはなかなか難しかったようです。
大阪冬の陣・夏の陣では、家康からの許可を貰い受け、大阪の富豪が戦場の後片付けをかってでています。これは、死体の処理をする代わりに、武具や武器をこっそり貰うよ。と、いう暗黙の了解があったようです。
小さな合戦では、戦国の武士道にならい遺体を回収し手厚く葬るということもあったようですが、大きな合戦になると武器や武具を貰う代わりに遺体を処理するといった現在で言う業者のような手が入ることが多かったと思われます。
合戦場となった付近の僧侶や農民が遺体の埋葬することもありました。その際も武具や武器の剥ぎ取りなどがなかったということはないでしょう。
城下周辺の合戦では、遺体はしっかり埋葬されることが多かったようですが、山野での戦となると遺体から衣類や武器は剥ぎ取られ、そのまま放置されることも少なくなかったようです。
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