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歴史年代ゴロ合わせ暗記歴史の真実>武田信玄、謎の死・・・
   

武田信玄の死因はなんだったのか?

  


 

武田信玄といえば、甲斐の戦国武将であり、21歳の時に父親である信虎を追放し家督を相続。その後は、勢力を拡大しながらも志半ばで倒れ、その死は、3年もの間隠され続けたといいます。

その武田信玄の死因については、よくわかっていなく、いろいろな説があります。

鉄砲に撃たれて、それが原因で亡くなった。結核の病だったなどなど・・・。

近年、興味深い説として有力視されているのが、胃がん説です。

武田信玄の侍医である板坂法印(いたざか ほういん)という人が信玄の病は膈の病であるといっていてという記述が「甲陽軍艦」から見つかりました。

膈の病とは、胃や食道に食べ物が停滞して、むせる、吐くなどの症状が出るといいますので、胃がんであった可能性が高いというのです。

まぁ、同じような症状で胃がん以外も考えられるのでしょうが、少なくとも武田信玄の死因は、病気であったようです。

愛知県新城市、野田城近くには、信玄が狙撃されたとされる場所に石碑が立ち、看板も掲げられていますが、この信玄狙撃説創作の可能性が高いようですね。

甲斐の虎と恐れられた武田信玄は、1573年に亡くなり、敵に彼の死を知られるのを恐れ、3年もの間、その事実は隠され続けました。信玄の墓は甲府市岩窪町、また和歌山県高野山、愛知県福田寺などに存在します。