神聖ローマ帝国
|
神聖ローマ帝国とは、962年〜1806年に西ヨーロッパに存在した国家です。まぁ、ドイツを中心とた国家ですので実際には”ドイツ王国”ってところですね。
しかし、ドイツなのになんでローマ帝国なの?って思いますよね。これは、962年にオットー1世という人がローマ教皇からローマ皇帝の冠をもらったことによります。だから、ドイツなのに神聖ローマ帝国な訳です。
さて、この神聖ローマ帝国ですが、イタリア政策というのを代々の皇帝が行い統一が遅れることになります。まぁ、なんていってもローマ帝国であり、そこの皇帝といえばローマ皇帝ですからね。イタリアのローマは是非とも押さえておきたいって気持ちもわかりますね。ですから、もう、ドイツを留守にしてでもイタリア政策といってイタリアに介入していくんです。ですが、これが結果、本国は手薄になって諸侯の力が強くなり統一が遅れてしまうんですね。
1254年まで神聖ローマにはシュタウフェン朝が君臨します。(ホーエンシュタウフェン朝1138年〜1208年・1215年〜1254年)。このシュタウフェン朝が断絶するとドイツには大空位時代という期間が訪れることになります。
この大空位時代とは、自称皇帝が複数登場してドイツが混乱した時代です。1256年(1254年という説もある)から1273年までの間です。もう、皇帝だのイギリスだのフランスだのオランダ伯だのが口を出して傀儡皇帝を立てていったんですね。
そして、1273年に諸侯によりルドルフ1世が皇帝に選ばれるとやっと大空位時代は終わりを告げます。このルドルフは後にヨーロッパ随一の名家となるハプスブルク家の出身ですね。
しかし、大空位時代が終わっても、神聖ローマの皇帝の選考には問題がつきまとう・・・。そこで、この皇帝の選考について規定したものを作ることになります。これが、金印勅書(黄金文書)。1356年にルクセンブルク家のカール4世によって発布されました。
これにより、皇帝を選出する権限は7人の選帝侯といって3人の司教と4人の諸侯の手で行われることになります。
まぁ、皇帝を選び出す手続きは、これではっきりした訳ですが、その後どうなるのか?そう、この皇帝を選び出す7人の権限は強くなり分権化がさらに進むことになるんです。
結局、中世ドイツでは、皇帝の力は弱く、不統一の時代続き、各地の諸侯の力は強く、ドイツの分裂は進んでいくことになります。
しかし、15世紀になりドイツの統一に本腰をいれる勢力が現れるんです。その勢力がハプスブルク家ですね。15世紀半ばからは帝位も事実上ハプスブルク家の世襲となっていきます。
<バラ戦争
|
|
|
|