推古天皇
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推古天皇といえば、日本最初の女帝であり、聖徳太子が摂政となったことで有名です。
この推古天皇は、554年に生まれ、18歳で第30代 敏達天皇の后となり、34歳の時にその敏達天皇に先立たれ、39歳で第32代 崇峻天皇が暗殺されると皇位を継ぐことになります。
推古天皇は、容姿端麗であったと伝えられており、皇位につくのを2度断り、3度目でようやく聞き入れたそうです。
そして、推古天皇は即位すると、すぐに聖徳太子(厩戸皇子)を摂政(天皇が子供や女性だった場合に代わりに政治を行う役目)とし、すべて政治を聖徳太子に任せます。
また、推古天皇の母親は、蘇我稲目の娘であり、当時の実力者、蘇我馬子は、推古天皇の叔父であったことから、この蘇我馬子も聖徳太子同様、政治に大きく関わっていくことになります。
では、推古天皇はお飾りの天皇だったのか?というとそんな事もありません。聖徳太子が亡くなった後、蘇我馬子は、天皇直轄の葛城県を「ここは、元々、蘇我氏の土地だったので頂戴」と推古天皇にお願いします。しかし、推古天皇は「これまで、あなたの願いはなるべく聞いてきたつもりですが、今この土地をあなたに渡してしまえば、後に私は愚かな天皇だったといわれるでしょう。同様にあなたとて、忠誠心に欠けた大臣であったと悪名を後世に残すことになりますよ」といって聞き入れなかったといいますから、締めるところはしっかり締めていたようですね。
その後、628年、推古天皇は75歳の時に崩御。在位は37年でした。
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