歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記インドの歴史釈迦の生涯

   

釈迦の生涯 

 

 
釈迦とは、仏教の開祖のことを指します。釈迦のことを仏陀(ブッダ)と呼ぶこともありますが、本来仏陀とは、仏教において悟りを得た人のこと全般を指す言葉なので釈迦個人を指す呼び名ではありませんよ。まぁ、仏陀といえば釈迦と同類語のように使われていますので一般的には通じますけどね・・・。

 では、この釈迦の生涯について少し詳しく学んでいきましょう。

 釈迦が生まれたのは紀元前564年(紀元前464年という説もあります)の4月8日。釈迦族の王子として生まれたのがガウタマ=シッダールタ。このガウタマこそが後に仏教の創始者となる人物です。

 当時のインドでは、ガンジス川流域を中心として多くの国々が興亡していました。その中で釈迦族の国はネパールの西南部に位置しています。東西80キロ、南北60キロほどの大きさだったといいますので小さな国ですね。しかも、コーサラ国という国の属国です。独立国ではなかったんです。

 そんな釈迦族の国の王子様として生まれた釈迦(ガウタマ・ジッダールタ)。7歳のときから学問や武芸を習い始め、どちらもすぐに素質をあらわしたといいます。

 しかし、釈迦は大きくなるにつれて、あることで悩んでいくことになります。

 「この世には生きている限り避けることのできぬ苦しみがある。老い。病。死。これらをどうしたら乗り越えられるのだろうか?」

 16歳で妃をむかえ、その10年後にはラーフラという男の子も生まれ、父親となったガウタマ(釈迦)でしたが悩みが消えることはありません。

 そして、29歳の冬の夜。ついに釈迦は妻子をおいて旅に出る決意をするのでした。出家です。妻子をおいて出て行くということに賛否両論あると思いますが、当時のインドでは、家庭を持っているにもかかわらず出家して修行に励むということは珍しいことではなかったようです。

 釈迦は、まずふたりの仙人のところへ入門し修行を受けます。それらの修行を数ヶ月で学びとった釈迦はもっと苦しい修行をするためにネーランジャラー川のほとりの森にて厳しい苦行を行います。死と隣り合わせの厳しい修行のため、釈迦の体は骨と皮だけになってしまうほどでした。

 しかし、やがて釈迦は苦行では悟りを得られないことに気付くことになります。苦行では悟りを得られぬことに気づいた釈迦は細い体で力を振り絞り森を出ると通りがかった村の娘から乳がゆを飲ませてもらいなんとか命を繋ぎとめました。

 その後、釈迦はマガダ国のガヤーの町(古くからバラモン教の霊場となっていた町)に向かい、アジャパーラとよばれる大樹の下に座ると静かに坐禅を続け、ついに悟りの境地に達するのでした。

 時に35歳の12月8日。本来は、この時以降のガウタマのことを釈迦、釈迦牟尼(シャカムニ)、釈尊などと呼びます。

 悟りをひらいた釈迦はその後、さらに1週間瞑想を続けると、その後、サルナートへと向かいかつての苦行仲間5人と出会い彼らに説法を行います。そして、彼ら5人が釈迦の最初の弟子となるのでした。

 釈迦はその後、80歳になるまで教えを説いてまわり、生まれ故郷に戻る途中に振舞われたきのこ料理が原因になったらしく激しい腹痛と下痢に苦しみシーラの樹の下、頭を北に向け、右脇を下にし、足を重ねて横になると、「すべてのものごとは無常だ。あたながたよ、おこたらずに努力をしなさい。」と最後の言葉を伝え息を引き取るのでした。