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小学生の歴史・室町幕府から応仁の乱まで


 @室町幕府
 
 鎌倉時代の末期では、モンゴル帝国の攻撃などから鎌倉幕府はお金がなくなり、武士達の生活も苦しくなってきました。また、悪い人たちも世に溢れるようになり、世の中が混乱していきます。そして、時の権力者、北条氏の力も徐々に衰えていくのです。

 そこを狙ったのが、
後醍醐(ごだいご)天皇。後醍醐天皇は、政権を取り戻そうとしますが残念ながら2度も失敗・・・。しかし、足利尊氏(あしかがたかうじ)や新田義貞(にったよしさだ)、楠正成(くすのきまさしげ)などの武将が鎌倉幕府を倒してくれました。1333年のことですね。

 そして、邪魔者がいなくなった後醍醐天皇は、新しい政治を始めます。これを
建武の新政(けんむのしんせい)っていうよ。

 しかし、この建武の新政が反感をかいます。公家といわれる人たちが中心の政治だったので足利尊氏たち武士たちがおもしろくなかったみたいですね。

 建武の新政は、足利尊氏が兵をあげてわずか2年で終わってしまいます。そして、後醍醐天皇は、吉野(奈良県)に逃げ、足利尊氏は京都に光明天皇という新しい天皇をたて京都に幕府を開きました(
室町幕府)。

 これにより、南と北で2つの天皇が誕生してしまうことになります。そして、武士達が60年もの間、南と北で争うことになるのです。これを南北朝の争乱といいます。

 
A足利義満
 
 南と北に分かれた争いも3代将軍 足利義満(あしかがよしみつ)のときに統一しました。この足利義満は、
金閣寺(きんかくじ)を建てたので有名ですよね。
 あと、
勘合貿易(かんごうぼうえき)というのをやっていたんでよ。これは、14世紀ごろ海には倭寇(わこう)っていう海賊があらわれていた。この海賊と貿易の為の船とを区別する為に勘合符っていうあわせ札を貿易船に持たせたんだ。文字を書いた板などを真っ二つに割ってひとつは明という中国の国に、もうひとつは貿易船に持たせてたんですね。そして、文字がピッタリ合えば、正式な貿易船だと判断したわけです。この貿易は、日本と明との間で行われたので日明貿易(にちみんぼうえき)ともいうよ。

 
B応仁の乱

 8代将軍足利義政(あしかがよしまさ)のころには、
徳政令(とくせいれい)といって借金を返さなくていいよ。という命令を何度も出すことになるんだ。借りている方は大喜びでも、貸している方にとっては大問題だよね。しかも、借りている方もその時は良くても、実は後で困ることになる。だって、貸している側は、もう二度とアイツに金貸さない!ってなちゃうもんね。生活に困っても、もうお金を借りることは出来なくなっちゃうわけ。

 とはいえ、この徳政令っていうのを出すのにもちゃんと理由があった。農民に借金が増えると一揆といって暴動を起すことがあったんだ。そうなると幕府は農民からの税がとれなくなって幕府のお金もなくなる。じゃ、返さなくていいから、ちゃんと働いて税を納めてねっていうわけですね。しかし、これが何度も繰り返されるとさすがに社会は混乱してきます。

そういえば鎌倉時代にも徳政令は出されていたね。室町時代の徳政令との違いを比べておこう
 鎌倉時代の徳政令 生活にこまり売った土地をお金を払わずに元の持ち主に返す。 
 室町時代の徳政令  借金をまったく返さなくていい。義政は13回もこの命令をだした。 


 しかも、その後、足利義政の跡継ぎ問題から
応仁の乱(おうにんのらん)という争いが10年も続く。長い戦いの中、幕府の力はなくなり、しかも下克上(げこくじょう)といって、地位が下の人が上の人よりも力を持ち出し、戦国大名という人たちが誕生してきます。

 そう、織田信長(おだのぶなが)や上杉謙信(うえすぎけんしん)、武田信玄(たけだしんげん)などが後に活躍する基盤が出来てきたのですね〜。

>安土桃山時代