尚巴志(しょうはし)
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尚巴志(しょうはし)とは、三国に分かれて争っていた沖縄を統一して琉球王国を樹立した人物です。
首里城を整備して、王城として使用したことでも有名ですね。
それでは、この初めて沖縄を統一した尚巴志について学んでいってみましょう。
沖縄では、12世紀ごろグスクと呼ばれる城塞が各地に建てられ、豪族達が各地で力を持っていました。それが、ある程度まとまってきたのが14世紀。その豪族達の中から、さらに力を持つものが現われ沖縄は3つの勢力にわかれます。
北では北山。中部では中山。南では南山と呼ばれる「三山時代」の始まりです。
この三山時代を制して沖縄を統一させるのが中山の尚巴志とその父、尚思紹(しょうししょう)でした。
その後は、海外貿易などで財を築き首里城を拡張するなどに努めます。
しかし、後に家臣の尚円によって政権を奪われ、王統は交代。琉球王国は貿易により最盛期を迎えます。
>北海道と沖縄の歴史
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●もともとは、地方の領主にすぎなかった尚巴志が島添大里城を攻め落として勢力を拡大する。
●1406年には、尚巴志が浦添城を攻め落とし、父を中山の王に据える。
●1416年には北山を支配下に。
●1429年、南山王の他魯毎(たろまい)が中山を攻めようとするが、逆に中山により島尻大里城を攻め落とされる。これにより中山によって三山統一。
●1609年薩摩藩により軍事制圧。
●1879年琉球処分にて沖縄県となる。
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