聖徳太子は実在しなかった?!
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聖徳太子といえば、かつての一万円札にも描かれていた有名な人物。しかし、最近,学校では「厩戸皇子」(うまやどのみこ)と教えられていることでしょう。
この聖徳太子。日本書紀でも厩戸皇子の呼び名を含め、数多くの名前で呼ばれていますが、、聖徳太子という呼び名は実は一度も記載されていません。聖徳太子という呼び名は、後世になってから付けられた呼び名であり、当時の呼び名や正式な呼び名ではなかっただろうというのが最近の有力な説です。よって、最近の教科書には厩戸皇子の補足として聖徳太子の名が書かれている程度となったのです。
聖徳太子の呼び名どころか、そもそも、そのような人物自体が架空の人物なのではないか?という説まで飛び出しております。
その理由の1つが「17条の憲法」。古くから聖徳太子が制定したと信じられたきましたが、それがどうも怪しいらしいのです。理由は、17条憲法に書かれている漢文の特徴が聖徳太子が生きた時代と合っていないのでは?というのです。文章の言い回しなどがもっと後の時代の特徴を持っているということらしいのです。
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(出典元:ウィキペディア) |
さらに、時代は蘇我氏ら豪族達が力を握っていた時代。そんな時代に、いかに聖徳太子といえど、彼らを規制するような憲法を作成できたのだろうか?という疑問も投げかけれれています。
また、聖徳太子といえば、『母親が厩の戸に当たった拍子に生まれたとか、10人が同時に話した言葉を聞き分けることができた』などの逸話が残っております。これらの話も現実味は薄く、ここから推測するに天皇の権威を高める為、聖徳太子という天皇家のスーパースターが後世になって作り上げられたのではないか?という説も飛び出しております。
では、仮に聖徳太子は実在せずに後世に作り上げられた人物だったとするならば、その後世とはいつ頃の時代なのか?
一説では、律令政治を目指した8世紀初頭。その頃は律令政治を確立を目指していた時代です。
この律令政治とは、人民や土地は天皇のものであり、それらは天皇が直接支配し、与えられた田で出来た米は朝廷に税として収穫の3%を治めさせる制度ですが、その制度確立の為には、天皇の権力を絶対的なものにする必要がありました。
そこで、作り上げられたのが聖徳太子というスーパースター像だったのではないかというのです。
天皇家に聖徳太子というスーパースターがかつて存在していた事をアピールし、天皇の権威を定着させようと試みたのではないか?とする説です。
ちなみに、17条憲法も漢文も、この時代に作り上げられたものなら時代が一致することから、この時代に17条憲法を作り、それを聖徳太子が作ったということにしたのでは?というのです。
とはいえ、これらの説も聖徳太子がいなかったという決定的な証拠ではありません。
現段階では、聖徳太子という人物がいたと決定付けるには資料が曖昧であり、後世に作り上げられた人物像なのではないか?という推測もできるといったレベル。
また、仮に聖徳太子という人物はいなかったとしても、その業績に近い働きをした人物、モデルとなった人物はいたであろうという見方が一般的でもあります。 |
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