アメリカと日本はなぜ太平洋戦争で戦うことになったの?
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第二次世界大戦は、主にヨーロッパでの戦争のはず・・・。なぜ、日本とアメリカまでが争うことになったのでしょうか?
実は、日露戦争以降の日本とアメリカはすでに微妙な関係にあったのです。
日露戦争のときは、ロシアにおける満州占領を恐れていたアメリカは日本に友好的でした。しかし、いざ日本がロシアに変わって南満州に進出すると今度は日本による満州進出がアメリカにとってはやっかいになってきます。
19世紀末のアメリカはキューバの独立問題などにより中国進出に遅れをとっていました。まぁ、ロシアに満州を占領されるよりは日本の方がマシか・・・。と、日露戦争時には日本支持の立場をとっていたアメリカですが日本が日露戦争に勝利すると旅順〜長春の間の鉄道を日米で共同経営しない?などと提案してきます。もちろん日本は「イヤだよ〜」ということになるわけですが、その日本の態度に「う〜ん。日本も警戒した方がいいな」ということになるのです。
さらに当時のアメリカは太平洋への進出もどんどん進めていたころ。この太平洋の対岸にあるのが日本ですね。その日本には強力な海軍がおり、これ以上、日本に力をつけられてもやっかいなことになりかねない・・・。
アメリカが獲得した太平洋のおもな領土 |
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そこでアメリカは日露戦争終結の直後から日本に対して警戒感をあらわにしていきます。日露戦争の翌年には、カリフォルニア州にて日本人移民の子供を公立小学校から追い出すという法律までできていますし、1913年にはカリフォルニア州で外国人(主に日本人を想定していたといわれています)の土地の所有を禁止しています。更には、いつでも日本と戦争ができるようオレンジ計画という作戦まで立てていました。
そこに起きたのが、1937年の日中戦争です。当然、アメリカにとっては、日本には勝って欲しくない・・・。それでも一応、表面上は日中戦争において、中立の立場を守っていたアメリカ。しかし、1938年、近衛首相は大東亜共栄圏というスローガンを打ち出します。日本、満州、中国、東南アジアを統合した経済圏を作ろう!というスローガンです。
アメリカは、それに強く反応。そして、石油などの資源の輸出の制限などの経済制裁を日本にくわえ、中国支援をするのです。
石油を止められてしまったら、中国との戦争に勝つこともできません。戦艦も飛行機も動かせなくなっちゃいますからね。
日本は、「何とかなりませんかねぇ」とアメリカと交渉にのぞむのですが、その間もちゃっかり東南アジアに資源を求めて侵攻。そんなもんだから、交渉など上手くいく訳もなく、「中国から兵を引き上げて、満州も元の状態に戻せ」と言われ、もうどうにもならなくなった日本は、「いいや、アメリカとも戦争しちゃえ」と太平洋戦争が始まるのです。
太平洋戦争前から日本とアメリカとの関係は微妙だった訳です。そこに、日中戦争。また、ヨーロッパでの第二次世界大戦が後押しして、遂に太平洋戦争突入となってしまったのです。
日本とアメリカの軍事力・経済力比較 |
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日本 |
アメリカ |
人口 |
7193万人 |
1億3167万人 |
原油産出量 |
28万トン |
1億8950万トン |
石炭産出量 |
5647万トン |
4億6391万トン |
鉄鋼石産出量 |
76万トン |
9389万トン |
(上は1941年当時) |
兵員(1941年末) |
陸軍210万人
海軍32万人 |
陸軍152万人
海軍36万人 |
兵員(1943年) |
陸軍290万人
海軍68万人 |
陸軍699万人
海軍221万人 |
軍艦(1941年末) |
148万トン |
131万トン |
軍艦(1943年) |
140万トン |
280万トン |
戦闘機(1941年末) |
4800機 |
12200機 |
戦闘機(1943年) |
9100機 |
65900機 |
(出典:図説ユニバーサル新世界史資料)
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