大正12年。平将門の首塚を壊して、大蔵省の仮庁舎が建てられる計画がありました。しかし、その直後から大臣をはじめ、工事関係者が数十人と亡くなっていってしまったのです。さすがに、これは不吉だ!と、いうことで工事は取りやめとなりました。
さらに、太平洋戦争直後、再び平将門の首塚を取り壊す計画が持ち上がります。アメリカ軍が、その場所を整備して駐車場にしようというのです。しかし、このときも工事中にブルドーザーが横転し、運転手の男性が死亡。その後、アメリカ軍も平将門の祟りの話を聞かされ、首塚の取り壊しを中止することになりました。
現在でも、隣接するビルは、平将門の首塚を見下ろすようなことのないように、窓は設けていないなどの配慮がされているようです。 |