平清盛の両親ってだれ?
|
平清盛といえば、武士として始めて太政大臣となり、政界のトップに立つと日宋貿易などで財力を蓄え栄華の限りを尽くした人物ですね。
この平清盛、長いこと公家が政界を牛耳ってきた時代に、武士として異例の出世を果たしていきます。父親の平忠盛は、朝廷の警護役でありましたが、それほど身分が高いわけではない。それなのに、清盛は12歳で中央政治に参加し、49歳で太政大臣に登りつめます。
なぜ、そのような出世を果たすことができたのか?これには、清盛の出生に秘密があると古くから言われてきました。
平清盛の父親は、平忠盛。母親は不明となっています。これほどの有力者で母親が不明というのもおかしな話ですが、実は父親も忠盛ではないという噂が当時から流れていたようです。
「平家物語」には次のように書かれています。
〜忠盛が仕えていた白河上皇には、祇園女御(ぎおんのにようご)という愛人がいました。ある夜、上皇が怪しい人影を見つけます。側近のものが「鬼がでた!」と騒いだので上皇は「ならば、殺してしまえ」と即座に命じますが、忠盛は冷静に「殺す前に私が鬼の正体を確かめてまいりましょう」と人影に近づいていきます。すると、その正体は、鬼どころか老僧でした。上皇は「大変な間違いをするところだった」と胸を撫で下ろし、忠盛に褒美として祇園女御をめとらせた〜
といいます。この時、すでに祇園女御は身ごもっており、それが平清盛。つまり、清盛は白河上皇の子であったというのです。
ただし、これには疑問も出てきます。本当に祇園女御が清盛の母親だったとするならば、出産当時の年齢はおおよそ40歳以上。当時としては、かなりの高齢出産です。まぁ、無理ではないですけど、信憑性に欠けるなぁ。といったところだったのですが、近年になり新たな発見がなされます。
滋賀県の古宮(このみや)神社から見つかった「仏舎利相承系図(ぶつしゃりそうしょうけいず)」という文書によれば、祇園女御には妹がおり、その妹もまた白河上皇から寵愛を受けていた。その妹は懐妊の後、忠盛に授けられた。と書かれていたのです。
つまり、平清盛の父は、白河上皇であり、母は祇園女御の妹ということになります。
その後、祇園女御の妹は早くに亡くなってしまったことから、清盛は祇園女御の手によって育てられたというのが現在、もっとも有力な説です。
なるほど、これなら平清盛の異例の出世にも納得がいきますね。
|
|
|
|