天武天皇
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天武天皇といえば、壬申の乱が有名ですね。『日本書紀』や『古事記』の編纂をはじめさせた事でも有名です。
この天武天皇ですが、実は、その前半人生についてはあまり知られていません。お兄ちゃんが天智天皇(中大兄皇子)、クーデターで蘇我氏を滅ぼし大化の改新を行った人ですからね。この兄の影に隠れちゃってたんですね。
ですが、ちゃんと兄である天智天皇を支えて執政を行っていたようで、彼は後継者争いを逃れるために吉野に隠遁していた時期があるのですが「虎に翼をつけて野に放つようなものだ」と人々は口にしたといいます。彼の才能をわかっている人はわかっていたようですね。
その後、天智天皇が亡くなると天智天皇の子である大友皇子(弘文天皇)が大海人(天武天皇)を攻めようとしているとの情報が入ります。そして、この2人の間で後継者争いが始まるわけです。これが、古代史上最大の内乱といわれる「壬申の乱」ですね。
天武天皇は、天文や占星術をよく行ったといわれており、壬申の乱の渦中においても、それがいかんなく発揮されました。天武天皇の軍勢が吉野を発って東国に向かうとき、横川という所に着こうとするところ、空に暗雲が広がったといいます。それを見た天武天皇は、筮竹という占いに使う竹を取り出し「これは、天下がふたつに分かれるしるしである。だが、最後に勝つのは私である」と自らを占ったといいます。
その占いの通り、当初は賛同するものも少なく数十人だったといわれる天武天皇の軍ですが、かつての政治に不満を抱いていた地方の豪族らが味方につき見事勝利!大友皇子は自害することとなります。
圧倒的不利な状況から見事な逆転勝利。天皇に即位してからは、その才能をいかんなく発揮。日本書紀や古事記の編纂をはじめさせました。
また、天智天皇が制定した近江令をさらに整備し、新たな法典の制定を宣言してつくられた「飛鳥浄御原令」。伝統的な姓制度を見直し、皇室との系譜上の距離によって諸氏族を再編成しようと行った「八色(やくさ)の姓」なども有名です。
さらに、天皇という称号を初めて使ったのは天武天皇といわれています。奈良県の飛鳥池工房遺跡から出土した木簡からは「天皇」と書かれた天武天皇時代のものが見つかっております。「倭」から「日本」に国号を変えたのも天武天皇とも言われていますよ。
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