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チベット独立問題


 チベットの独立運動という言葉、新聞やニュースで目や耳にしたことはあるでしょうか?

 この
チベット独立問題について、なぜ中国はチベットの独立を認めないのか?また、チベットはなぜ独立を願っているのか?なるべくわかりやすく簡単に説明していきたいと思います。

 まず、そもそもなぜ、チベットは中国の一部となってしまったのでしょうか?これには、複雑な歴史的問題が絡んでいるんです。では、チベットの歴史から見ていきましょう。

 7世紀はじめの頃のチベットですが、ソンツェン・ガンポという人によってチベットは統一され中国からは、
吐蕃(とはん)と呼ばれていました。(ちなみに、この時代のチベットは、今のチベットよりも広い領土を持っていたよ)。しかし、この吐蕃は9世紀半ばに南北に分かれ、その後衰退。チベットは多くの諸侯が分立する時代へとなっていきます。

 問題なのが13世紀半ば頃から・・・。この頃は、モンゴル勢力がめちゃくちゃ強かった時代ですね。チベットもやはりモンゴルの支配を受けることになります。そう、日本にも攻めてきたフビライ=ハンの「元」です。

 ですが、チベットでのラマ僧パスパという人物がフビライの師となったことから、モンゴルでもラマ教が広まって、ラマ教の教団は、元から多くの特権を与えられていたんです。現在でいうとイタリアとローマ法王みたいな関係といえばわかりやすいかな?ですから、完全に「元」に侵略されたという訳でもないんですね。

 そして、「元」の後に中国で栄えたのが「明」です。この明が『
元にかわって、チベットの統治権を継承した。』と中国は主張しています。えっ?元ってモンゴルでしょ?なんかおかしくない?って感じですけど地理的にそういうことになると中国は論じているんですねぇ。

 「明」の後の「清」の時代では。ダライ・ラマが分裂していたチベットをまとめ上げ、その後はダライ・ラマがチベット全土の聖俗両方の支配権を持つようになります。清とも良好な関係を築きますが、その後、ダライ・ラマを君主としながらも清は軍事的にチベットを支配下に置くようになります。


 中国最後の王朝「清」が滅亡するとチベットは清の支配下から独立を宣言しますが認められませんでした。第二次世界大戦後には中国共産党によるチベットの軍事制圧がなされ、これによりチベットは中国の自治区のひとつとなります。

 チベットの人から見たら、これは中国の侵略行為だ!ということですね。しかし、中国側からしたら、「いやいや、侵略じゃなくて、それ以前の13世紀頃からチベットは中国の一部ですから・・・」ってことです。

 その後、チベットでは独立運動が激しさを増し、1959年にチベット動乱が起きるとダライ・ラマは中国から圧力を受けることとなり、ダライ・ラマはインドに亡命。現在に至るまでインドにてダライ・ラマはチベットの平和のために世界に向けて訴えかけているんです。

 ですが、ダライ・ラマ14世。
実は、チベットの「独立」を求めているわけではないんです。ダライ・ラマが求めているのはチベットの教育、文化、環境での自治!これを求めているんです。



 なぜか?チベットは自治区とされていながらも自治権がないのが現状です。ですから、森林伐採や核廃棄物の処理場にされているといった深刻な環境問題を抱えています。

 人権問題でもデモに対する中国政府の強便すぎる対応(多くの死者や逮捕者が出ている)。

 また、多くの中国人(漢民族)がチベットに流入してきていることやチベット仏教の制限などによりチベットの独自の文化、民族が抹消されつつある。民族を抹消することによって独立問題の最終的解決を図ろうと中国政府はしていると声を上げているチベットの方も多くいます。

 ですから、ダライ・ラマは「チベットは中国の一部でいいです。ですが、チベットの文化、民族を守るための自治をください。」と訴えているんですね。

 もちろん、チベットの独立を願っているチベットの人たちも多くいます。しかし、経済的にもチベットの独立は難しいのでは?という声も上がっているのが現状です。また、中国としてもチベットの独立を認めてしまえば、他の少数民族の自立運動も高まってしまう可能性が高いので独立を求めても受け入れられる可能性は非常に少ない。

 ですから、ダライ・ラマ14世はチベットの現状を訴え、現在も冷静に平和的にチベットの自治を世界に訴えかけています。