陳勝・呉広の乱
|
陳勝・呉広の乱(ちんしょう・ごこうのらん)とは紀元前209年、中国史上最初の農民の反乱です。
紀元前210年に中国を統一した秦の始皇帝が亡くなった翌年。秦の兵士であった陳勝と呉広は周辺警備の為、強制的に徴兵された農民たちを漁陽という街まで引率する役目をおっていました。
しかし、途中で大水の為、道を進むことができなくなります。このままでは遅刻間違いなし!当時の秦の法律では、遅刻=死罪!つまり、遅れて到着したところで殺されちゃうわけです。
そこで、陳勝は思い切った決断を下します。
「王侯将相(おうこうしょうしょう)いずくんぞ種あらんや」
王族、諸侯、将軍、宰相。みんな同じ人間であって、身分なんぞ、後から定められたにすぎない!だったら、俺が皇帝になってもおかしくはないはずだ!
周りの人たちもこれに賛同します。どうせ遅れて到着しても殺されちゃいますしね。殺されなかったにしても労役で死ぬ人も多く、また体力を消耗しきった状態で帰るわけですから、労役を終えても帰り道で死んじゃうってことも多くありました。だったら、彼について行ってみよう!
こうして、陳勝・呉広の乱は始まります。
この反乱は一気に広がりをみせ、陳勝はやがて楚という国を復興させ張楚(ちょうそ)という王朝を打ち立て王を名乗るようになります。しか〜し!軍は膨れ上がると内部争いも勃発。結局、半年ほどで秦に鎮圧されてしまうことになるのでした。この内部争いの中、部下の裏切りにあい呉広は殺され、陳勝も家来によって殺されます。
中国史上初の農民の反乱はわずか半年で鎮圧されることになりますが、秦に対する民衆の不満は消えることがなく、やがて秦は滅亡することになります。
|
|
|