トリデシリャス条約
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羅針盤や航海技術の向上により、15世紀ごろからヨーロッパ人は大海原に乗り出していった。大航海時代の始まりです。これに積極的に力を注いだのがポルトガルとスペイン。
この大航海時代の到来によって新たな土地が発見されるようになると領土問題が発生することが予想されます。
そこで当時のローマ教皇アレクサンデル6世は「教皇子午線」を引いて西をスペイン、東をポルトガルの勢力圏にすると決めました。1493年のことです。この教皇子午線は、アフリカ大陸のもっとも西にあるヴェルデ岬の西500キロあたりに引かれます。
しかし、納得がいかなかったのがポルトガル。ポルトガル国王ジョアン2世は翌年、スペイン国王フェルナンド5世に掛け合って、もうちょっと西に線を移動させてくれないか?とお願いします。そして、スペインはOK!
これによって引かれた線がトルデシリャス条約のライン。このトルデシリャス条約によって引かれた線は後に大きな意味を持つことになります。
トルデシリャス条約は1494年。その後、1500年にブラジルが発見されるんです。ポルトガル堤督カブラルが偶然、嵐にあって漂着するんですね。
このトリデシリャス条約がなかったらブラジルはポルトガルの勢力圏に入っていなかったという訳です。だから、現在でも他の南アメリカの国はスペイン語圏が多いけど、ブラジルはポルトガル語圏なんですね。
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