ウマイヤ朝とアッバース朝の違い
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ムハンマドの死後、選挙で選ばれたムハンマドの後継者(カリフ)の時代が4代続き(正統カリフ時代)、その後、ウマイヤ朝、アッバース朝と続くわけですが、学生さんなどでは、このウマイヤ朝とアッバース朝がごっちゃになりやすい・・・。
そこで、ウマイヤ朝、アッバース朝の歴史と違いを見てみましょう。
ウマイヤ朝
正統カリフ時代といわれた4代のカリフの時代の最後のカリフはアリーでした。アリーは預言者ムハンマドの従兄弟でムハンマドの娘ファーティマを妻とし、ムハンマドの妻についでイスラム教に入信したと伝えられている人物です。
しかし、そのアリーが3代目カリフの暗殺に関わっていたとしてムアーウィアという人物が内乱を起します。そして、アリーが暗殺されるとムアーウィアは自らをカリフと称して創始したのがウマイヤ朝です。ムアーウィアはウマイヤ家の人物だったのでウマイヤ朝というわけですね。この名前は比較的覚えやすい。「うまいや(おいしいや)」ですからね。
このウマイヤ朝の特徴は、それもまでのカリフは選挙によって選ばれてきたわけですが、ウマイヤ朝が創始されてからはカリフは世襲制へと変わっていきます。また、重要なのがイスラムの分裂を招くことにもなったということも思えておきましょう。
なぜ、イスラムの分裂を招くことになったのか?
それは、4代目カリフであったアリーを支持していた派閥とムァーウィアが創始したウマイヤ朝を指示する一派とに分かれてしまったのがきっかけです。ちなみに暗殺されたアリーを指示する一派を「シーア派」といい、ウマイヤ朝を支持する一派を「スンナ派」といいます。
シーア派は少数派でイランを中心にイスラム教徒の1割ほどだといわれていますよ。預言者ムハンマドがあれほど恐れたイスラムの分裂がついにおこってしまったのですね。
また、ウマイヤ朝成立後はジハード(聖戦)が猛烈に展開されていくこととなります。その為、このウマイヤ朝の時代は単独のイスラム王朝としては最大の領土を誇ることになるのです。
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後ウマイヤ朝とはウマイヤ朝が倒れた後の756年
10代目カリフの孫が指示を経てスペインのコバルト
にウマイヤ朝を再興させます。これを「後ウマイヤ朝」
と呼びます。 |
しかし、このウマイヤ朝もやがて衰えをみせ100年もせずに滅亡することになります。
その原因がアラブ人第一主義に対する民衆の不満だといわれています。
どんどん領土を広げていっても征服地の人々に対してイスラム教徒は改宗を強制することはありません。イスラム教では、キリスト教やユダヤ教も同じ神を崇めるということでそれなりに理解をしているわけです。ただし、改宗しない人には特別に税金が課せられます。「まぁ、税金をちょっとくらいとられても改宗しないでいいならいいか」と、この人々からは強い反感は出てこないのですが、問題は改宗した非アラブ人たちです。
ウマイヤ朝の税の仕組みは、まずアラブ人のイスラム教徒。この人たちはほとんど税金がかかりません。だいたい年収の40分の1程度だといわれていますので、現在の日本のサラリーマンよりずっと少ない税金ですね。
次にアラブ人ではなくイスラム教徒ではない人々。この人たちは人頭税や土地税を払う必要があります。人頭税とは、支配者が子分ひとりに対して払わされる税金です。多くの子分を抱えた有力者は多くの税金を払わされます。土地税は所有する土地に対して課せられる税金です。
そして、アラブ人ではないけれどイスラム教徒に改宗した人々。この人たちにも人頭税と土地税が課せられます。同じイスラム教徒となったのにアラブ人とそうでない人では税負担が大きく違っていたのですね。だから、非アラブ人のイスラム教徒は怒ったのです。
そして750年にイラン人のマワーリーという人が中心となって立ち上がります。その時、彼らをまとめ上げることとなったのが後にアッバース朝をたてるアブー・アルアッバースです。
アッバース朝
アブー・アルアッバースはムハンマドの叔父の家系にあたる人物です。ウマイヤ朝を滅ぼしてアッバース朝を樹立させると彼はアッバース朝の初代カリフとなります。
2代目カリフの時代には首都をバグダードに移し、当時を代表する国際都市として繁栄しました。
またイスラム法を整備し、ウマイヤ朝が滅びる原因となった非アラブ人へと差別を解消します。アラブ人でも土地税を払う必要があることとし、非アラブ人でもイスラム教徒ならば人頭税を払う必要はなくなります。つまり、イスラム教徒ならば人種に関係なく人頭税を払う必要はなく土地税のみとなった訳です。非イスラム教徒は人頭税と土地税を払わされますが、彼らは改宗しなくてすむので納得済みということですね。
また、アッバース朝成立に貢献したイラン人も官僚や軍隊の中に増えていきますので、それまでのアラブ人中心国家から真の意味でのイスラム帝国へと変わっていくことになったわけです。
つまり、ウマイヤ朝からアッバース朝へとの移り変わりで、それまでのアラブ人の特権は廃止され、イスラム教徒は皆平等となりました。
とらえ方により違いはありますが、教科書の中にはウマイヤ朝からアッバース朝への移り変わりを「アラブ帝国からイスラム帝国へ」と表現しているものもあります。
<正統カリフ時代
>アッバース朝の衰退と滅亡
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