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小学生の歴史・大和朝廷と飛鳥時代


 @大和国家の成立

 むかし、むかしの日本には小さな国がたくさんありました。

 しかし、4世紀ごろになると今の奈良県から大阪府あたりまでの地域では、その地域のリーダーたちが協力し合い、ひとつの国を立ち上げたと考えられています。これを
大和国家といいます。

 その大和国家の頂点に立つ人を
大王(おおきみ)といいました。この大王は後に天皇と呼ばれるようになるよ。今でも大阪府の堺市というところには大仙古墳(たいせんこふん)といわれる超デカイお墓が残っているので、当時の大和国家がすごく力を持っていたことが分かるね。

 この大和国家はどんどん大きくなり、5世紀ごろには九州から東北地方の南くらいまで支配するようになるよ。

 大和国家とは、豪族が連合して建設した。その大和国家の政府を大和朝廷といい、その頂点に立つ王を大王といった。

 
A聖徳太子の政治

 593年には、
聖徳太子摂政(せっしょう)となり政治を行いました。ちょっと待った!摂政って何?摂政とは、天皇が子供や女性だった場合に代わりに政治を行う役割のひとのことだね。この時の天皇は、推古(すいこ)天皇という女性だったので聖徳太子が代わりに政治を行ったんだ。

 この聖徳太子は、こんな政治を行っているよ。

 
冠位十二階(かんいじゅうにかい)・・・才能のある人を採用できるようにする。
 
十七条憲法(じゅうななじょうけんぽう)・・・役人が守るべき心得を示す。
 
遣隋使(けんずいし)・・・小野妹子(おののいもこ・男だよ)に手紙を持たせて隋(中国)に渡らせる。また、留学生やお坊さんなども隋に送り政治や文化を勉強させる。

 さらに、聖徳太子は仏教に熱心だったので
法隆寺(ほうりゅうじ)や四天王寺(してんのうじ)などを建てました。

 
B大化の改新(たいかのかいしん)

 聖徳太子が亡くなってからは、
蘇我氏がものすごく威張っていたんだ。まぁ、その前から威張ってはいたんだけど、聖徳太子がいなくなると、まるで自分が天皇気取り・・・。

 その頃、中国では、隋という国が滅んで唐という国に支配が変わっていました。お隣の国がえらいことになっているのに、日本では、蘇我氏などの豪族といわれる人たちが各々、土地や人民を抱えている状態です。これは、とっても危険。だって、もし唐が日本に攻めてきたときに誰が戦うのか?

 「お前のところの軍隊だせよ。やだよ。お前のところから出せよ・・・」となっちゃうかもしれませんね。

 こんなんじゃダメだ!日本を天皇を中心とした”ひとまとまり”の強い国にしなくては!

 そう考える人たちが出てきます。代表格が
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)や中臣鎌足(なかとみのかまたり)ですね。この人らが協力し合い、蘇我氏を倒します。

 そして、後に
公地公民(こうちこうみん)といわれる「すべての土地と人民は天皇のものですよ」という決まりや租庸調(そようちょう)といわれる税の決まりを決めました。

 この新しい政治のことを
大化の改新(たいかのかいしん)といいます。

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