フランシスコ・ザビエル
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フランシスコ・ザビエルは1506年に現在のスペインのバスク地方ナバラ王国の城主の息子として生まれます。しかし、そのナバラ王国はザビエルが生まれるとすぐにスペインに併合されてしまった為、ザビエルは学問の道を志し、パリへと向かうのでした。
そこでイグナティウス・デ・ロヨラという人物と運命の出会いを果たします。
ザビエルは彼の熱心な説得により、キリスト教の布教活動を行うことを決意するのです。
1542年にはインドのゴアを拠点としてインド各地で宣教し、1545年9月にマラッカ、1546年1月にモルッカ諸島にて宣教活動を続けます。1547年12月にマラッカに戻った時に薩摩出身の日本人ヤジロー(アンジロー)と親しくなり、日本での布教を決意したといわれています。
1549年6月にヤジローたちを同伴しマラッカを出港すると2ヵ月後に鹿児島の錦江湾に到着したのでした。
ザビエルはヤジローの案内で薩摩の領主である島津貴久と一宇治城で会い、そこで布教の許可を得ます。
ですが、ここで仏教徒などから反キリストの声が大きくなっていくんですね。そこで、ザビエルは薩摩を離れ、次に長崎の平戸に向かうのでした。
その後も豊後や山口で布教活動を行い、1551年にインドに戻ることになります。
1552年にザビエルは中国での宣教のため海を渡りますが病を発症。46歳でこの世を去りました。
ザビエル略年表 |
1506年 |
スペインのバスク地方ナバラ王国の城主の息子として生まれる |
1525年 |
パリ大学に留学 |
1541年
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宣教師としてリスボン出航 |
1542年 |
インドのゴアに到着。布教活動を行う |
1547年 |
マラッカで日本人のヤジローに会う |
1549年 |
ヤジローとともに薩摩に上陸。島津貴久に許可を得て布教活動開始。 |
1551年 |
インドに戻る |
1552年 |
中国、上川島にて死去。 |
日本人でザビエルを知らない人はほとんどいないというくらい有名ですが、日本での布教期間は1549年から1551年とそれほど長くはないんですね。
しかし、ザビエルが日本にてはじめた布教の影響は大きく、後に九州を中心として大友善鎮や小西行長といったキリシタン大名を生むことにもつながっていきます。
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